コラム
» 2011年09月01日 08時00分 UPDATE

相場英雄の時事日想:再び、被災地へ。何ができるかを考える (1/2)

東日本大震災が発生してから、6カ月が経とうとしている。被災地を支援するために、ボランティア活動に携わるのもひとつの手だろう。しかし筆者の相場氏は、地元民との交流を続けることで長期的な支援になるのでは、と考えている。

[相場英雄,Business Media 誠]

相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール

1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『株価操縦』(ダイヤモンド社)、『偽装通貨』(東京書籍)、『偽計 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎』(双葉社)などのほか、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。ブログ:「相場英雄の酩酊日記」、Twitterアカウント:@aibahideo


 8月初旬、筆者は短い夏休みを取り、家族とともに宮城、岩手両県の沿岸部に向かった。小説の追加取材という名目もあったのだが、主な目的は家族に被災地の生の姿に接してほしいという思いからだった。

 東日本大震災の発生以降、取材で何度も現地入りした筆者に対し、家族は働き過ぎとの感情を抱いていたが、被災地で現地の惨状に接した瞬間から、意図をくみ取ってくれるようになった。自らの目で震災の傷跡を確認し、被災された方々の壮絶な体験の一端を知ったからに他ならない。ボランティア活動のほか、現地に赴き、地元民と交流することだけでも長期的な支援につながると改めて感じた。

読者からのメール

 当欄で石巻市雄勝町を取り上げたルポを掲載した直後から(関連記事)、ある読者から頻繁にメールが届くようになった。同町出身の読者だった。

 7月以降、この読者と縁の深い民宿を勧められ、筆者は思い切って家族を伴って被災地での夏休みを計画した。もちろん、沿岸各地は復興の途上であり、いまだにガレキ撤去やインフラ整備の最中だ。避難所で不自由な生活を強いられている方々が多数に上ることも承知していた。「観光客」の立場で訪れることにためらいはあった。

 だがこの読者だけでなく、現地の友人たちから強く勧められたことが背中を押してくれた。また、石巻日日新聞によれば、同市観光ボランティア協会が帰省客や観光客向けに震災の被害状況をガイドする試みも行われたという。同協会は、被害状況を多くの人に知ってもらうことが重要だとしている。こうした取り組みを知り、家族を伴って現地に入っても大丈夫だと考えた次第だ。

石巻市を再訪

 震災ルポで何度も取り上げた石巻市を再訪した。同市の中でも甚大な被害が出た南浜町、門脇地区を回り、市中心部に向かった。昨年刊行した小説の取材、プロモーションでお世話になった鮮魚店「プロショップまるか」を訪れるためだ。

 津波被害を受けた同店は5月に営業を再開、現在は他の飲食店と同じ建物内で営業を続け、市民の貴重な商店街として再起した。同店はインターネット通販も開始。被災した漁師とともに、新たな仕組みでの販売も始めたばかりだ(参照リンク)

 店内にはイートインコーナーが設置され、地元の買い物客がにぎやかに食事を摂っていた。また、ボランティアには無料で食事が振る舞われるなど、さまざまな人たちの交流の場としても機能していた。

 筆者と家族が食事をとっていると、たまたま店を訪れていた知人と再会した。鯖や鯨の缶詰製造販売で知られる木の屋石巻水産の社長ご夫妻だった。同社は津波によって壊滅的な被害に遭ったものの、倉庫に残っていた缶詰を洗浄、「希望の缶詰」として再生販売した企業だ。

 まるか、木の屋のご夫妻とともに再会を喜ぶとともに、彼らの体験談の一端を聞いた。家族の表情を見ると、完全に固まっていた。被災現場を目の当たりにした直後だっただけに、新聞やテレビで報じられた内容とのギャップに驚いた様子だった。また、両社ともに筆者が頻繁に“お取り寄せ”をしていた身近な存在だったこともあり、妻も小学6年生の息子は「人ごとではない」との思いを強くしたという。

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