第52鉄 都営交通100年記念〜都電の保存車めぐりと記念展杉山淳一の+R Style(2/5 ページ)

» 2011年08月29日 22時00分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]
初期の姿を残した7500形

 さて、7500形は近代化改造を受ける前の姿だ。僕の世代にとって、都電といえばこの色だなあ。7500形は後年、冷房付きの直線的な車体に載せ替えられて活躍したが、今年(2011年)3月にすべて廃車になった。ただし、1台だけ花電車用の「ハナ100形」に改造されたという。この秋、都営交通100年を記念した花電車が走る予定だ。都電の花電車は33年ぶりとのこと。

 7500形の室内に往時の写真が展示されている。節電でエアコンは止められて、窓からときどき風が入る。でも、このほうが昭和の夏っぽいよね。無料公開のおもいで広場だけれど、ちょっと商売っ気を出して瓶コーラかラムネの自販機でも置いてくれたら、もっと昭和気分を楽しめただろうな、と思った。

都電の思い出、ありますか?

 5500形の車内に、都電全盛期の路線図があった。こちらはクーラーが効いていたので、しばらく眺める。40代以上の人なら、かつて自分が乗った路線を探してみよう。幼い頃へ、あるいは青春時代へと「思い出の旅」ができそうだ。私もさっそく過去へ思いを馳せてみた。

昭和40年頃の都電路線図。思い出に浸る手がかり(クリックすると拡大します)

 私は1967(昭和42)年に五反田の関東逓信病院(現NTT東日本関東病院)で生まれた。この1967年は東京都電にとって節目だったらしい。モータリゼーションの発達により都電の役目が見直され、都電全廃の方針が決定。同年12月から第1次都電撤去が開始された。撤去は1972(昭和47)年までの5年間に5段階で行われ、荒川線だけが残った。

 私には微かに都電に乗った思い出がある。その路線はどこだっただろう。思い当たる場所といえば「一の橋電停」だ。麻布十番商店街の入り口にあって、父方の祖父が麻布十番に住んでいた。私たち一家は東急池上線の沿線に住んでいて、五反田駅から一の橋へは4系統(五反田 − 銀座二丁目)が通じていた。しかし、この路線は私が生まれた年の第一次撤去で廃止されている。きっと乗っていただろうけど、私は0歳児である。覚えているわけがない。

 次に思い当たる電停は港区広尾の「赤十字病院前」だ。ここには7系統(品川駅前 − 四ツ谷三丁目)が通じていた。7系統は1969年の第4次撤去で廃止。私が2歳半の頃だ。当時私は足が悪くて、母に連れられて赤十字病院に通っていた。その時期に一致している。都電よりも、左足のギブスと、そのギブスを外すためのノコギリの恐怖を今もはっきりと覚えている。日赤病院の地下に食堂があって、そこで初めてオムライスを食べた。玉子焼きの中にご飯が入っている。そんな手の込んだ料理にびっくりした。これだけ覚えているから、都電の記憶はきっとこの時だろう。

5500形の車内に展示された懐かしの品々

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