日本の地図、塗り替える――社会人大学院卒業生の横顔ひと物語(2/4 ページ)

» 2011年08月29日 08時00分 公開
[GLOBIS.JP]

箱や土地に価値はあるのか

 バブル絶頂期の1990年春。22歳の石川さんは、「やっぱり時代は不動産だろ」と考える学生の1人だった。不動産会社、信託銀行など、「土地をたくさん保有している企業」を次々に受けてみたものの、内定につながらない。研究のため首都高速道路公団に資料を取りに来て、たまたま同じビルに入っている日土地を知った。

 入社してすぐに不動産鑑定士の勉強をはじめ、翌年試験に合格。鑑定士として、日本全国の土地や建物の評価に駆け回る日々を送った。当時鑑定士は“先生”と呼ばれ、経営幹部に直接会えた時代。「何を聞かれても答えられるように」と、入念な準備をしていった。

 最初は単純に不動産を評価していくだけの仕事だと思っていた。だが、住宅価格と違い、企業不動産に誰もが納得する市場価格は存在しない。同じ不動産でも、極端に言えば、1億円と評価する鑑定士もいれば、100億円と鑑定する鑑定士もいる。要は、どのようなロジックを積み上げて計算するかで、はじき出される数字は大きく違う。

 「前例がなかったり、他と数字が比べられなかったりする難しい案件の方が燃えましたね。絶対の数字はないわけだから、こちらはロジックで勝負するしかない。しかも相手は経営幹部。すごく自分が磨かれた時期でした」

 相手方が想定している評価額を下回る査定を出せば、修羅場になる。いかにロジックで納得させられるか。背筋に嫌な冷や汗をかいた分だけ、成長した。

 駆け出しの時代が終わるころ、バブルが弾けた。後から後から会社に寄せられる案件は、不良債権の処理や不動産売却の話ばかり。「数字何とかしてください」。担当者は不動産を金融機関に高い担保として認めてもらおうと、必死に懇願してくる。その様子が、奇妙に思えて仕方なかった。金融機関は土地の評価額しか見ない。経営者がどんな想いやスキルを持っていようが、どんな将来性のある事業を行っていようが、関係ない。

 「これは何かがおかしいなと思い始めたんです。多くの場合、土地の評価で不動産を見るけど、不動産自体が価値を生み出しているんじゃない。その上で何をやっているかが重要なんじゃないかと」

 そんな想いが小さな芽になるきっかけがあった。工場財団抵当の評価を担当した時のことだ。工場財団抵当とは、企業を担保とする制度の1つで、経営のための土地・建物・機械などの設備の所有権を一括して1個の財団とし、その上に抵当権を設定するもの。より担保力が強くなる。

 何千点という機械をひとつひとつを査定していく間に、ふと気が付いた。個別の機械には大した価値はない。有機的に一体となり、人の手がかかり、そこで生み出されている価値を評価しなければいけないのではないか――。

 「それからは、不動産の市場価値と、事業による使用価値、両面で考えていくことが自分のスタイルとなりました。全国に7000人いる不動産鑑定士の中で、そのことに気付けたのは、自分を含めごく少数しかいなかったと思います。土地自体に価値があるという神話が、人々の脳裏にあまりに強く焼き付けられていたから」

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