横ばいのmixiと急成長するFacebook遠藤諭の「コンテンツ消費とデジタル」論(1/2 ページ)

» 2011年08月25日 14時40分 公開
[遠藤 諭,アスキー総合研究所]
アスキー総研

「遠藤諭の『コンテンツ消費とデジタル』論」とは?

 アスキー総合研究所所長の遠藤諭氏が、コンテンツ消費とデジタルについてお届けします。本やディスクなど、中身とパッケージが不可分の時代と異なり、ネット時代にはコンテンツは物理的な重さを持たない「0(ゼロ)グラム」なのです。

 本記事は、アスキー総合研究所の所長コラム「0(ゼロ)グラムへようこそ」に2011年8月24日に掲載されたコラムを転載したものです。遠藤氏の最新コラムはアスキー総合研究所で読むことができます。


 それほど深く親しいわけでもないのに、互いに相手をからかったり、イタズラしたりしても許されるような関係のことを「冗談関係」(joking relationship)という。この言葉のネーミング自体が冗談っぽいので、「ああ、知ってる」という方も少なくないだろう。

 いちばん一般的な冗談関係は、祖父と孫がウソをついたりイタズラし合うような関係だ。いろいろな形があるが、以前のこのコラムでも触れた「クラン」(clan=氏族)に属する者の間でも冗談関係があったりする(米国でのソーシャルメディアの平均的な友達の数が150人で、それは「クラン」に相当する人数規模だった)。

 冗談関係で許されるのは、「軽い冗談から、相手の物を盗んだり相手を呪ったり、さらに猥褻(わいせつ)なあるいは侮辱的な行動をとり、言葉を浴びせるなどいろいろ」(平凡社『世界大百科事典』より抜粋)だそうだ。

 なるほど、どおりで『サンシャイン牧場』で友達の畑に害虫をまいたり、『怪盗ロワイヤル』で友達の宝を盗んだり、盗まれたりするわけだ。わたしの場合は、顔見知りでつながっているはずのFacebookよりも、なぜかバーチャルなつながりの多いGoogle+のほうが、冗談関係っぽくなりがちなのではあるが。

 新しくコンテンツが生まれるときというのは、例えば部族的な土着的な社会が持っていた「人のつながり」や「習慣」や「縄張り」などが失われて、それを補完するような力が働くときなのだ。古くは「部族」や「血縁」、「宗教」だったものが、Facebookでは、「職業」や「経歴」、「音楽の趣味」に置き換えられたのではないかと思う。

 つまり、SNSのプロフィールは、いわば「家紋」や「お札」や「屋号」が飾られているようなことなのだ。しきたりなどの無形のものがやっと合理的に表現され始めたのが、いまのネットなのだと言ってよい。

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