避難所の閉鎖、仮設住宅暮らし――震災から3カ月、相馬市と旭市の今東日本大震災ルポ・被災地を歩く(1/5 ページ)

» 2011年07月09日 08時00分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]

 6月11日で、東日本大震災3カ月目を迎えた被災地。私は、これまで北は岩手県宮古市、南は千葉県旭市まで訪れ、車での走行距離は2万キロ近くにもなっている。被災地の中でも、何回も訪れた(そして今後も訪れるだろう)場所がいくつかある。今回は福島県相馬市と千葉県旭市について、3月からの変化を見てみようと思う。

6月17日、相馬市の避難所「はまなす館」閉鎖

 福島県相馬市の総合福祉センター「はまなす館」。最初にこの場所を訪れたのは3月26日だった(参照記事)。6月11日の時点で240人が避難生活をしているが、6月17日をもって、避難所が閉鎖した。ほとんどの人が仮設住宅に移り住む。

 「避難所生活の目標は仮設住宅が目標だったので、役割を終えました。3カ月だと6月11日ですが、大安の日を選ぶと14日になります。祝い事になると午前中がこの地方では普通なので、14日の午前中に引っ越した人が多い」

もうすぐ閉鎖する避難所(6月11日)
以前よりも笑顔が多い只野裕一・相馬市社会福祉協議会会長(6月11日)

 はまなす館で避難所の責任者だった、相馬市社会福祉協議会会長の只野裕一氏はこう話す。「東京電力の職員に避難命令が出て以降、いろいろと混乱しました。ガソリンが不足していたことも影響しています。人口の3割が移転しました」

 相馬市は東京電力・福島第一原子力発電所から30キロ圏外ではあるが、風向きを考えると、放射能が飛散してくる可能性もある。原発事故によって、地域全体がナーバスになっていた時期もあった。

 震災直後は、相馬市に限らず、物流がストップして、店頭に商品が何もない時期が続いていた。地域内の物流に頼っていたローカルな店舗ほど、開いているところが多かった。地震と津波被害がない地域でも、相馬市内では緊張感が漂っていた。しかし、3カ月経つと、市内は平常を取り戻したかのようだ。

 ただ、子どもたちはバラバラになっている。はまなす館は相馬市磯部に住んでいた人たちが多かった。磯部小学校や磯部中学校に通っている子どもたちもいた。震災は卒業式前だったために休止となったが、3月31日に、はまなす館で卒業式・終業式をすることができたのだ(参照記事)

磯部小から大野小へ転校した押山海利くん(右)と、桜丘小に転校した木村浩二くん(6月11日)

 その卒業式・終業式でインタビューした子どもたちのほとんどは、(偶然だと思うが)磯部小学校や磯部中学校の始業式には姿が見えなかった。転校したようだ。押山海利君(6年生)もその1人だった。6月11日にはまなす館を訪れたとき、磯部小の友達と遊んでいた。

 取材ノートを見返すと、3月31日の卒業式前にも、押山君にインタビューしていた。すぐには思い出せなかったが、話している間に思い出してきた。

 押山君は現在、大野小学校に転校している。当時の避難所生活についてこう話した。「ここで暮らすのが嫌だった。地区の人と一緒にいるのは安心するけど、知らない人とお風呂に入るのが一番嫌だった」

 終業式前の取材では、「みんなとバラバラになるのは嫌だ」と話をしていた。今でも「(学校生活は)まだ落ち着かない」と話す。「まだクラスの友達と地震の話もする」という。「暗い雰囲気も感じる」とも答えていた。部活についても「前のチームのほうがよかった。練習も違う」と戸惑っている様子だったが、最後の小学校生活になるため、「明るく過ごしたい」とも言っていた。

 インタビュー中に、磯部小時代の友達に「磯部に戻ってこいよ」と声をかけられていた。

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