日本の原子力政策を訴える――法曹家の卵が原発の行政訴訟を起こした理由(2/4 ページ)

» 2011年06月09日 12時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

国内の報道機関が事故の真実と事態の分析を怠ってきた

 事故前と同様に事故後も、政府のアカウンタビリティは果たされませんでした。政府の説明は二転三転していますし、いくつも矛盾した情報が発表されています。例えば、事故から2カ月以上経ってようやく、政府と東京電力はメルトダウンの可能性を正式に認めました。

 しかし、実を言うと政府内部でも原子力安全・保安院のスポークスマンである中村幸一郎審議官という方は、3月12日に「メルトダウンの可能性がある」とおっしゃっています(参照リンク)。しかし、その翌日に彼はスポークスマンの職を解かれました。そして、政府もメルトダウンの可能性を否定するようになりました。

 彼に代わって原子力安全・保安院のスポークスマンになったのは西山英彦さんです。西山さんはもともと経済産業省の政府高官として、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)締結の交渉に当たっていた人です。そして、西山さんは私にとって東京大学法学部の先輩でもあり、その後、ハーバード・ロー・スクールを卒業しているすばらしいキャリアの持ち主です。何が言いたいかと申しますと、彼は原子力発電についてまったくの素人ということです。

 それにも増して私にとって衝撃的だったのは、国内の報道機関が事故の真実とあり得る事態の合理的な分析を怠ってきたことです。海外の報道では福島第一原発の事故がリビアのカダフィ大佐(の動向)とトップニュースを競っていた時に、日本のテレビではいつもと変わらないプログラムであまり興味のわかない娯楽番組が放送されていました。また、国営のNHKラジオでは選抜高校野球の放送を続けていました。

 これは福島第一原発事故に匹敵する大規模な事件が起きた時のメディアの報道とはまったく異なるものです。例えば、湾岸戦争や阪神・淡路大震災、オウム真理教の地下鉄サリンテロ、米国における9・11テロ、米国のアフガン攻撃などの時は、テレビでも特集番組を大量に流していました。しかし今回、彼らは日常通りのテレビプログラムを流し続けることによって、事故についての沈黙を守ったのです。また、国内の新聞も事故後長い間、政府と東京電力の発表をそのまま伝えるばかりで、出てくる情報に対する批判的な記事はほとんどゼロでした。

 民間メディアが日本国民にとってあまり役に立たなかった原因は、スポンサーからの圧力です。事故後の大手放送局におけるほとんどの番組では、ACジャパンのCMばかり流れていましたが、この団体は東京電力やほかの電力会社から大量の出資を受けています。そして、日本の大規模な新聞社はテレビ局と系列会社の関係にあるので、テレビのスポンサーの影響をとても気にします。

 「日本で東京電力が、米国でのルパート・マードック※氏並みに強いメディアへの影響力を持っている」ということは、今回の事故で日本のメディアが教えてくれた真実の1つだと思っています。報道機関が時として真実の報道よりもスポンサーを重視することはある程度、世界的に見られる性向ですが、ここまでひどいとは思っていませんでした。

※ルパート・マードック……メディア・コングロマリットのニューズ・コーポレーションを所有する世界的なメディア王。

 また、日本政府が中国政府に与えた教訓もあります。新華社通信のエッセイによると、「表現の自由が保障された民主主義国家でも巧みな情報統制を行えば、国民の行動を政府がコントロールすることは容易であることが今回の事故に対する日本政府の対応で明らかになった」そうです。これも本当のことだと思います。なぜなら、市民はこのようなひどい扱いを政府から受けて、虐げられていたのに、羊のようにおとなしくしており、暴動も起こさず、私が4月7日に訴訟を起こすまでは、政府に対する正当な権利行使としての訴訟を誰も起こさなかったからです※。

 そのため、なるべく正確な情報を得るにはインターネットを使って、海外の情報に触れるしかありませんでした。例えば、政府も気象庁も国内メディアも学者も、放射性物質の拡散予測についてデータを出してくれませんでした。そのため、私は自分たちの身を守るためにドイツ気象庁のWebサイトに掲載されている日本周辺での放射性物質の拡散予測にアクセスしていました。この予測シミュレーションはそう複雑なものではないと思います。

 実のところ、日本政府もSPEEDIという放射性物質の拡散予測を持っていたのですが、その情報が公開されるようになったのは5月になってからです。「それまで情報を公表しなかったのは、大まかな予測しかできていなかったからだ」というのが政府の説明です。大まかな予想でも構いませんから、私としては情報を公表してほしかったです。

 また、海外の大手新聞、ニューヨーク・タイムズかワシントン・ポストのWebサイトと記憶していますが、とても早くからメルトダウンの可能性を報じていました。

 以上のことから私が得た結論は、「政府の原子力政策は原子炉設置の段階から危険を伴うもので、誤りでしたし、また事故後の対応においても、日本国政府は十分に国民を保護してくれない」ということです。それなら私は沈黙を守り続けていくのではなく、裁判で国の誤りを主張するべきだと考えました。

 これは自分自身と、自分の家族の身を守るためですし、またほかの日本国民の身を守ることにも役立つと思います。そして、言うまでもないことですが、今回の福島第一原発の事故は世界中の方々にも多大な迷惑をかけています。

 従って私は、日本国政府の原子力政策を今年の3月11日まで支持してきた人間として、日本の原子力発電政策を止める道義的な責任を世界中のすべての人に負っていると思います。これが私が今回訴訟を起こした背景事情です。

福島第一原子力発電所3号機(出典:東京電力)

訴訟のポイントは2つ

江藤 今回の訴訟で私が主張する法律上のポイントは、大きく分けて2つあります。

 1つ目は「国の原子炉設置許可が法律の要求する最低基準を満たしていたかどうか」です。今までこの点については、日本では何十回も訴訟が起きましたが、最高裁判所では「国の許可は原子力安全委員会の専門的な知識に基づいたものである。従って合理的な根拠があるので合法である」という立場を常にとってきました。

 しかし、3月11日の事故によって、「国の許可は十分に合理的な根拠を持ったものだ」という前提はくつがえりました。また、浜岡原子力発電所の原子炉も、菅直人首相が運転の再開停止を要請するほど危険なものだったと判明しています。そうすると、国の安全審査が十分であったという根拠が崩されているので、裁判所はこれまでの判例と違った判断を下す可能性も高いと考えます。原子炉の安全性について誤った判断を繰り返してきた日本政府が安全性を審査する原子炉なんて、きっと危険なものだろうと推定される、というのが私の主張です。

 2つ目は「原子炉設置許可についての法律が憲法に違反していないかどうか」です。福島第一原発のように原子炉事故が起こると、近付くことや居住することが長期間、事実上不可能になります。すると、日本国憲法第22条が保障する居住、移転の自由が侵されることになります。そのため、「憲法上保障された居住、移転の自由を侵害する原因の施設である原子炉の設置は憲法に違反している」と言えるのではないか、というのが私の考えです。

 この訴訟の帰結としては、もし私が勝訴すればですが、日本におけるすべての原子力発電所は存続が困難になると思います。以上に述べた論理を使えば、国内すべての原発は訴訟で廃止される標的となりますし、また原発の新設も商業ベースでは事実上不可能になると思います。合理的経済人ならば、裁判で設置が違法と判断される可能性の高い施設を建設するプログラムに費用を投資することはないと思うからです。

 裁判は6月23日に東京地方裁判所でスタートします。興味のある方はぜひお越しください。国側の行動も明らかになり、何らかの有意義な情報が得られると考えます。

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