東京電力社長の「土下座」は何を意味するのか吉田典史の時事日想(1/3 ページ)

» 2011年05月27日 08時00分 公開
[吉田典史,Business Media 誠]

著者プロフィール:吉田典史(よしだ・のりふみ)

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2005年よりフリー。主に、経営、経済分野で取材・執筆・編集を続ける。雑誌では『人事マネジメント』(ビジネスパブリッシング社)や『週刊ダイヤモンド』(ダイヤモンド社)、インターネットではNBオンライン(日経BP社)やダイヤモンドオンライン(ダイヤモンド社)で執筆中。このほか日本マンパワーや専門学校で文章指導の講師を務める。

著書に『非正社員から正社員になる!』(光文社)、『年収1000万円!稼ぐ「ライター」の仕事術』(同文舘出版)、『あの日、「負け組社員」になった…他人事ではない“会社の落とし穴”の避け方・埋め方・逃れ方』(ダイヤモンド社)、『いますぐ「さすが」と言いなさい!』(ビジネス社)など。ブログ「吉田典史の編集部」、Twitterアカウント:@katigumi


 テレビニュースを見ると、東京電力の社長らが福島県内の避難所を訪れ、土下座をしながら謝っていた。その姿を観察していると、極めて日本的な空間の中で進められていると思えた。

 私が20年ほど前の学生時代のころに何度も読んだ学術書『日本的経営の編成原理』(著・岩田龍子、文眞堂)をもとに、この土下座の意味を考えてみたい。この本は30年以上前に発行されたものだが、文化論から実に鋭く日本的経営に迫っている。

ひたすら誠意を示すために

東京電力の清水正孝社長

 岩田氏は責任問題が生じたとき、日本ではわびることや誠意を示すことが重要な意味を持つと説く。例えば裁判で争う場合でも、被告がおわびをしたことが裁判官の決める量刑の決定にも影響を与えるという。確かにこの指摘は事実である。裁判を取材すると、裁判官は被告が反省している態度を示すと、判決を下す際に「情状酌量の余地がある」と言い、刑を軽くすることがある。

 企業のリスク管理に詳しい弁護士はこう語る。「東京電力の社長らは、被災地に行く前に顧問弁護士に相談をした可能性がある。弁護士は“避難住民に土下座をしたほうがいい”とは発言していないと思うが、ひたすら誠意は示すべきと助言しているだろう。その結果、あのように繰り返し、頭を下げたのではないか」

 その誠意は今後、国や避難住民、被災者らと損害賠償のあり方や額をめぐり、法的な争いになったときに会社を守ることになりうるという。弁護士によると、仮に双方で法的に争うことになった際には、訴えられる側、つまり、東京電力がそれまでに謝った回数などが“誠意を示した”という客観的な根拠となるようだ。

 企業の謝罪と言えば、私のこれまでの取材で得たものを紹介したい。企業(特に大企業に多い)は解雇や退職強要、セクハラなどで社員から訴えられ、例えば公的な機関(労働基準監督署や労政事務所など)で争う場合には、人事部の管理職が調停をする職員らの前で「〇〇君(訴えた社員)の心証を害したことをすまなく思う」と言い、頭を深々と下げる。この姿は、今回の東京電力の社長らと同じである。

 その後、社員に取材をすると、「人事部の社員が頭を下げてスカッとした」と喜んで話すことがある。私は、そのとらえ方は甘いと思う。人事部の管理職が謝っているのは社員に対してではなく、調停をする職員に対してなのである。会社が社員に対し、「申し訳ない」と思い、おわびする意思があるならばもっと早いうちに謝罪をしている。謝罪がないがゆえに、社員は止むに止まれず、公的な機関に話を持ち出したのだろう。今回の東京電力のお詫びも単純に「避難住民のために……」とは受け止めない方がいい。

 では、東京電力社長らのあのおわびは誰に対してのものか。「原発付近の被災者に……」と言えばそれまでだろう。しかし、それぞれの被災者への補償の中身が正確にまだ決まっていない。それは、早くとも今年の秋になるという。今の時点で経営陣が不特定多数の人へ土下座するのは、“誠意を示した”という事実をあらかじめ作っておきたいという思惑があるようにしか思えないのだ。

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