報道されなくなったとき、避難所はどうなるのか――陸前高田市(2)東日本大震災ルポ・被災地を歩く(1/3 ページ)

» 2011年05月23日 08時48分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]

 4月1日、私は陸前高田市の第一中学校へ向かった。第一中学校は高台にあり、津波の被害はなかった。現在、中学校の体育館は避難生活の中心になっている。高台を降りて行くと、近くのコンビニエンスストア「ローソン」の仮店舗がある。ここは市内で唯一、営業を再開しているコンビニだ。

 ちなみに、近くにある高田小学校は冠水。高田保育園は津波に飲まれてしまった。高田高校では生徒18人が死亡、4人が行方不明になっている。

岩手県陸前高田市。震災の日、リアス式海岸を津波が襲った(クリックすると広域の地図を表示します)

 →東日本大震災ルポ・被災地を歩く:児童92人が全員助かった小学校――陸前高田市(1)

高齢者が多い避難所、要介護者も

 避難所生活は刻々と変化している。避難所の代表、避難生活者などはその後、変わっているので、以下はあくまでも「4月1日現在」ということを前提に読んでほしい。

避難生活について話す中井力(なかいつとむ)さん

 この日、避難所の代表(当時)で、商工会の事務局長も務めている中井力さん(61歳)に話を聞いた。中井さんによると、第一中学校で避難生活をしている人は、震災から5日目が最大で1400人ほどが集まった。

 年齢層は高齢の方が多いという。「陸前高田の高齢化率は33%ですが、体育館に避難している人たち(の高齢化率)は、それをはるかに超えています」(中井さん)

 乳幼児は約10人。「保育士が必要ではありますが、親子で避難しているのでそのあたりは、おまかせになってしまっている」

 このほか、視覚障害者や要介護者もいる。有資格者のボランティア派遣をしているNPOなどもあるが、積極的に連絡を取ることはない。ただ、そうしたNPOが出向いてきた場合は、歓迎する姿勢を見せていた。

陸前高田市の第一中学校。体育館が避難所になっている

 こうした状況での避難所運営は楽ではないが、「誰かが避難所運営をしないといけない。去年の3月まで、市の職員でした。こういう時には率先してやっていかないといけない」と中井さんは話す。公のために自らが働く精神は、公務員を辞めた後でも続いている。同時に、商工会が仮事務所を作り、仕事が始まっているという。「商工会での仕事をしながら、避難所でのお世話をしています」

 避難所の運営は、各行政区からの推薦者10人ほど集めた。ボランティアは20人ほどがいる。料理担当者も決めた。

 避難所では、何が足りないのか。「これ(避難生活)は長期戦になります。今、足りていても、将来どのようになるのか分からない。いつか足りなくなるかもしれない」

 長期にわたる避難生活で何が不足するのかは、その時その時の状況によって変わってくるという。どのような支援物資が届くのかでも変わってくる。ちなみに、この日のインタビューで困っていたのは「調味料」だった。

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