もう1つ、不毛な議論の例を見てみましょう。
Aさん「学歴なんてぜんぜん重要じゃないよ」
Bさん「いや〜、現実にはやっぱり学歴は大事だよ」
Cさん「学歴なんて全然意味ないよ!」
これは議論自体が成り立っていない例です。
「大事か大事でないか」「重要か重要でないか」というのは、ある要素(x)が、何かの結果(y)に影響を与えているかどうか、という話です。(x)によって(y)が決まってしまうなら“重要”“大事”と呼べます。ということは、「(y)が何か?」によって結論は変わって来ます。
ここでは(x)は「学歴」ですが、(y)が「年収」なのか「体重」なのかで話は違ってきますよね。体重が学歴に規定されると思っている人はあまりいないでしょう。
というわけで、(y)が何なのか定義せずに話し合っていても結論はでません。後から「俺は学歴によって合コンでのモテ方が違うと言ってたんだ」「えっ? 私は『学歴と身長は関係ないでしょ』って話をしていたんだけど……」というような話になってしまいます。
(y)を明確にすればこんな議論は簡単に答えが出ます。「学歴によって年収が影響を受ける」と言いたいならデータを収集して検証することが可能なはずです。高卒と大卒の給与平均は統計データがありそうですし。東京大学卒業生や慶応大学卒業生のデータなどもサンプル調査などが存在しそうです。
データがあれば、「俺はこう思う」「そうは思わない!」などという水掛け議論をしなくてすみます。もちろん「体重」との関係だって一定規模の調査をすればデータで検証できます。
何かが「重要だ」「いや重要じゃない」という議論をしたいなら、まずは「何の結果に対して、どの要素が重要だと主張しているのか」「何が何に大きく影響すると主張しているのか?」という(y)を明確にしないと、議論自体が意味をなしません。
そして多くのケースで、(y)を明確にすると「検証可能性」が高くなります。そうすると議論が水掛け論ではなくなります。きちんとデータに基づいて議論しようという話になり、議論は結論に向けて進み始めます。
……などと書くと、「じゃあ、(y)は幸せ度だ!」とか「(y)は人生の成功度だ!」とか言う人がいるのですが……それでは全然明確になってません。
大事なのは(y)を明確にすることです。定義できないもの、人によって定義が違うものを(y)に持ってきても話は進みません。そういう議論をしたいなら、まずは「幸せ度って何?」というのを定義しましょう。
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