児童92人が全員助かった小学校――陸前高田市(1)東日本大震災ルポ・被災地を歩く(2/3 ページ)

» 2011年05月20日 08時00分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]

 この日、校舎を見つめる男性がいた。この学校のOBだ。校舎の全景が見える校門付近で、黙ったまま、1人で校舎を見つめていた。1989年にこの学校を入学し、高校卒業まで陸前高田市に住んでいた。

 「ニュースで言っている通りだ」

 陸前高田市の中心部が全壊してしまった風景を見て、つぶやいた。学校について「ここで一緒に育ち、一緒にいたことが思い出です。幸い、同級生22人みんな無事だったので、ほっとしています」とも話してくれた。家族はこちらに住んでいるので、これから相談するという。

 その後、男性は静かに立ち去っていった。友達も家族も無事だったようだが、男性は思い出の場所を失い、男性の家族は生活の拠点を失った。「ほっとしている」とは言っていたが、その表情は喪失感でいっぱいのように見えた。

母校を見つめていた男性

市長の定例会見

記者会見での戸羽太市長

 陸前高田市では、市庁舎も冠水した。建物は残っているものの、市の機能はほぼ停止状態。職員296人のうち、80人が津波のために行方不明や死亡となっていた。

 そのため、市災害対策本部は学校給食センターに設置されている。ここにはマスコミは入れない。その代わり毎日、戸羽太市長の定例会見が行われている。

 4月2日の会見では、死者数や行方不明者数、避難箇所、避難人員、仮設住宅情報を発表した。またこの日は、菅直人総理が陸前高田市を初めて視察した日だった。この件について、戸羽市長は次のように話した。

 「国に要望をさせていただいた。『国を挙げて』という言葉をいただいた。その意味では勇気づけられた。我々も、国や県に要望しながら、頑張っていかなければいけない」

 「一番大きいのは財政支援。がれき撤去に関しては支援してくれる。しかし、産業廃棄物の問題がある。建物が全壊で使えないからといって、事業者にお願いすることになれば、今後の経営を継続するという意味では厳しい。法人といえども、個人と同じように国でできないか、とお願いをした」

学校給食センター。ここに陸前高田市の災害対策本部がある

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