Interview:バルバラ・ラディーチェ・ソットサス 「倉俣史朗を語る」(2/2 ページ)

» 2011年05月07日 16時37分 公開
[草野恵子,エキサイトイズム]
エキサイトイズム
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エットレ・ソットサス氏のキャリアはたいへん長く、その作品も実に多岐にわたります。彼はデザイナーであり建築家でもあるわけですが、その軌跡を追ってみると、「アーティスト」という言葉がいちばん相応しいように感じます。

 33年間エットレと一緒に暮らしておりましたので、正確にいえると思うのですが、彼は「アーティストだ」と自分がいわれるたびに激怒していたんですね。「私は建築家である」と、そのようにいっていました。

 実際、彼はいつも建築を意識して創作活動をしていました。彼は1940年代後半から活動を始めたわけですが、当時は資金がほとんどなく、建築事務所を維持するにも難しい状況でした。そんなときにオリベッティからのオファーがあり、それを受けたわけですが、エットレはつねに建築家になりたかったんだと思います。

エキサイトイズム バレンタイン(オリベッティ)1969年

 家具をデザインするときも、つねに建築の中でどう使われるというかを意識してつくっていました。そういう観点で彼の作品を見ると、どの作品もつねに同じアプローチを感じます。

 ちなみに、彼はいつも最先端のデザインをしてしまったがために、あまり売れなかったのかもしれません。みなさんご存じの、オリベッティの真っ赤なポータブルタイプライター『バレンタイン』は、当時そんなには売れず、すぐにコレクターズアイテムになってしまったんですから。実際には彼はアーティストだったと、私も思います。

最後に、エットレ・ソットサス氏がどういう方だったのかを教えてください。

 とても優しく、パワフルで強い、力みなぎる人間でした。彼は人生を楽しんでいて好奇心旺盛で、つねにいろんなことに興味を持っていました。そして、仕事が大好きで、仕事がないときは少しナーバスでしたね。食べることも飲むこともセックスすることも大好きな、本当にパワフルで魅力的な人間でした。

PROFILE:バルバラ・ラディーチェ・ソットサス

ライター。エットレ・ソットサス氏(1917〜2007年)の長年のパートナー。30年以上にわたって公私ともにエットレ・ソットサス氏の活動をサポートしてきた。自身も「メンフィス」運動に加わった後、エットレ・ソットサス氏が立ち上げた建築雑誌『TERRAZZO』の編集にたずさわる。


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