チェルノブイリ原発事故から25年――反原発デモを取材する松田雅央の時事日想(4/4 ページ)

» 2011年04月29日 08時00分 公開
[松田雅央,Business Media 誠]
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 デモ行進終点となる原発前の駐車場には飲料品と軽食を売るテントが立ち、トラックの荷台には屋外ステージが用意されていた。頃合いを見計らって反原発バンドの演奏が始まり、主催者のあいさつ、反原発運動に参加する医師のスピーチ、ウクライナの市民団体で活動するロシア人のスピーチが続いた。

 ステージ後ろの横断幕にも「1986チェルノブイリ、2011フクシマ/原発を止めろ!」と書かれている。フクシマの名がこういう形で有名になろうとは、3月11日以前は誰にも想像できなかった。これからチェルノブイリ記念日が来るたび、「フクシマ」の名が叫ばれるのかと思うと気が重い。

 何人かにチェルノブイリとフクシマがドイツに与えた影響を聞いてみた。ここでは代表として、先に登場したBUNDフリース事務局長のコメントを紹介する。

 「大きく分けて2つの側面があると思います。放射能汚染の直接被害とその恐怖という点で、チェルノブイリとフクシマは比較になりません。しかしながら原子力政策に与えた衝撃はフクシマが勝ります。これまでドイツの原発(軽水炉)はチェルノブイリ型の原発(黒鉛炉)と違い安全とされてきましたが、その前提が覆されたからです。フクシマとドイツの安全対策は同レベルとはいえ、フクシマで起きた事故はドイツでも起こり得ます。技術先進国で過酷事故が起きたことによって、ドイツでも原発の安全神話は吹き飛びました」

 フクシマが世界をどう変えるかは、まだはっきりしない。またフクシマの名がこれからどう扱われるかも不明だが、日本政府のまずい対応を見る限り、残念ながらチェルノブイリ同様「原発のネガティブな象徴」に向かって突き進んでいるようだ。

 「不十分・不透明な情報開示」「責任所在のあいまいさ」「放射線安全基準の甘さ」といった指摘は嫌というほどされているのだが……。今からでも遅くない。次世代のため真に大切な決断を下す政府へと、大胆な変身を遂げることを願わずにいられない。

ウクライナで青少年を対象とした反原発活動に携わるレナ・ダマニスカヤさんのスピーチ(左)、日本語のメッセージ。BUNDの用意したプラカードに思い思いのメッセージを書くことができる(右)

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