川口雅裕(かわぐち・まさひろ)
イニシアチブ・パートナーズ代表。京都大学教育学部卒業後、1988年にリクルートコスモス(現コスモスイニシア)入社。人事部門で組織人事・制度設計・労務管理・採用・教育研修などに携わったのち、経営企画室で広報(メディア対応・IR)および経営企画を担当。2003年より株式会社マングローブ取締役・関西支社長。2010年1月にイニシアチブ・パートナーズを設立。ブログ「関西の人事コンサルタントのブログ」
セクハラについて、多くのオジさんが冗談めかして次のような会話をしているのを、よく耳にします。
「俺がちょっと声をかけただけでセクハラになって、キムタクなら触ってもOKなんて、何だそれは? 相手がどう思うかがポイントなんて、よく分からんよなあ」
「どこからがセクハラで、どこまでがそうでないのか、明確な基準があるべきだ。セクハラだと断じて、罰する可能性があるなら、ちゃんと基準をはっきりさせてもらいたい」と言っています。要は、「私はルールや罰則(報奨)があれば、それに基づいてちゃんと行動できるんだけれども、基準がなければ、すぐに困ってしまうんですよ」と言っているわけです。
こういう人は、人事の評価会議でも「明確な評価基準がないから、評価しにくい」「何をしたら、どんなことができたら、何点をつけたらいいのか、はっきりさせてほしい」といった一見、もっともらしいことを言います。が、こういう人の本音は、「答えを教えてほしい」ということなので、いくら基準を明確にしていっても「あいまいだ」と言い続けます。
そんな自律的に判断・行動できない人材が、マネジャーになると困ります。言われなくても、ルールや仕組みがなくても、自分で思考し、想像力を働かせて行動できるのは、幹部やマネジャーはもちろん、一人前のビジネスパーソンの条件と言ってよいでしょう。
部下から見ても、「会社が定めたルールに則ってやれ」という指示・指導だけなのであれば、マネジャーの存在意義は非常に軽いものになります。いい役職についているだろう人たちが、「セクハラに基準がないのは変だ」と言っているのは、「明確な基準やルールのもとでしか動けない」と言っているのと同じで、冗談半分だとしても悲しい姿です。
また、こんな人材が多いと、セクハラの防止だけでなく、コンプライアンスの実現もありえません。なぜなら、「相手がどう思うか」といういかにもあいまいで流動的なものが基準であるのは、セクハラだけではなくコンプライアンスに関わる分野のすべてに共通しているからです。
「誠実性や倫理観といった自分の胸の中にだけあるものを基準にして行動できるかどうか」が問われているのがコンプライアンスであって、ルールや基準に則ってしか判断できないような他律的人材には、コンプライアンス上の危うさもあります。「ルールや基準にはないから」という理由だけで良からぬことをやりかねません。
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