第47鉄 災害と復興と洋菓子――2008年夏、柏崎杉山淳一の+R Style(5/6 ページ)

» 2011年04月25日 10時00分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

 緑の水田の向こうに見えるブルボンの工場。それを見て疑問が生まれた。ブルボンのお菓子はクッキーやチョコレートが多い。しかし、ここは日本有数の米どころ。お煎餅やあられなどの米菓の工場を作るほうが素直ではないか。新潟には越後製菓や亀田製菓など有名なメーカーもあるから、先輩に遠慮したんだろうか。

ジェロの演歌『海雪』にも登場する出雲崎。紙ふうせん生産の全国シェア80%という意外な……いや、子ども好きだった良寛さまの出生の地にふさわしいかも?

車窓をきっかけに知る、ブルボン創業の秘密

 米どころに洋菓子メーカー……その違和感が気になって、帰宅後にネットで調べてみた。なんとブルボン創業のきっかけは地震だった。それも85年前の関東大震災だ。関東大震災で関東の菓子メーカーが被災し、地方への出荷が止まる。お菓子を楽しみにしていた子どもたちの笑顔が消えた。それを見た創業者の吉田吉造氏が「地方にも菓子メーカーが必要だ」と発起して立ち上げた事業がブルボンの前身、北日本製菓だったという。そんなブルボンの創業の地が地震に見舞われるとは皮肉だ。

 新潟の地震の時、ブルボンは自社も被災したにもかかわらず、倉庫にあった菓子類をすべて被災した人々に差し出したという。ブルボンの沿革を調べると、新潟だけではなく、阪神淡路大震災、スマトラ沖地震、能登半島沖地震、中国の四川地震、ハイチ大地震などでもいち早く物資を送り、義援金を出し、可能ところには社員による炊き出しも実施している。まるで災害復興支援が社是になっているようである。創業から80年余、ブルボンは創業者の精神をずっと保っている。粋な会社だと思う。正直なところ、子どもの頃にルマンドを食べ過ぎて敬遠した時期もあったのだけれど。私は改めてブルボンのファンになった。

米どころのどまんなかだというのに、クッキーやチョコレート菓子のブルボンの工場がある
ブルボン公式サイトのトップページ。東日本大震災の被災者支援として、新潟県や山形県へ避難した人たちを対象に、6工場で80名の期間雇用による支援を実施している

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