残念+悲しい新聞の、悩ましい問題とは烏賀陽弘道×窪田順生の“残念な新聞”(9)(3/4 ページ)

» 2011年04月22日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

残念というよりも悲しい

烏賀陽:僕は17年間、朝日新聞でお世話になった。もちろん仲間もまだたくさんいるので、残念というよりも悲しいですね。

 先日、第二次世界大戦中、ガダルカナル島で戦闘に参加した日米両方の兵士にインタビューした本を読んだんです。日本兵と死闘を演じた、ある米国兵はこのようなことを言っていた。「日本軍の兵士は最高だった。日本兵の優秀さは天才的だった」「ジャングル戦の偽装や待ち伏せなど、本当にすごかった」と。しかしなぜ米国が勝てたかというと「日本の指揮官がアホだったから」(笑)。

窪田:ハハハ。

烏賀陽:そして「米国の指揮官と日本軍の兵隊を組み合わせると、最強の軍隊になるだろう」とも語っていた。

 この本を読んだとき「これって全国紙に似ているなあ」と思った。1人1人の記者のポテンシャルはものすごく高い。取材先からも信頼されている。勤勉で粉骨砕身働く人が多い。モチベーションも高い。なのに、そういう優秀な記者が人事異動でとんでもないところに飛ばされたりする。担当しているところを1年ではずされたり。

 マネージメントがダメなために、人材という資源がどんどん浪費されているんですよ。そのツケが権力監視の空白になる。これは「残念」とか「悲しい」を通り越して「民主主義の危機」なんです。

 また全国紙を見ていると、彼らはもはや自己改革をあきらめている、座して死を待つようにすら見える。しかし、彼らが倒れたとして、公的資金を注入するわけにもいかない。もしこうした事態になると、民衆主義社会にとっては本当に重大な損失なんですよ。

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