原発から19キロ付近で、「妻の薬を取りにきた」という、南相馬市原町の加藤正義さん(79)と出会った。加藤さんの家の付近は地震や津波の影響によって道路が寸断されているが、かろうじて加藤さんの家には行けるルートがあった。現在は仙台市で生活をしているという。
「津波も一階がつかってしまったんだよ。近くの子どもが2人流されたんだ。学校帰りのようだった。(私も)畑仕事をしていて、流されたんだよ。流れてきた木につかまって命からがら、どうにか助かった。その後は一度近くの避難所に行ったが、『ここでは危険だ』ということで、相馬女子高校に避難した。今は、息子がいる仙台に住んでいる」
加藤さんは地震や津波の被害について話した。そして、
「こんな災難に遭うとは思わなかった。田んぼは、ほぼ整備してきた。でも、塩分を含んじゃった。国道さえ乾かない。今後、ここで生活できるかは分からない。津波だけなら片付けられる。でも、放射能があって、みんな逃げたんだ。小さな子どもがいるから仙台へ行ったんだ」と落胆する。
「どこに住んだらいいのか。農家の農地はしばらくだめ。野菜も放射能がどの程度か分からないが含んでいる。子どもは心配だから避難したが、(私は)余命幾ばくもないからいいけどな。原発ができるとき、反対したんだがな。(事故後は)風向きによっては東京の方も(放射能の)汚染してるんだってな。移動するったって、親戚頼るしかない」
地震と津波に加えて原発事故。それ以来、すっかり地域が一変してしまった。原発から20キロ圏は、一部の住民が忘れ物を取りにくるくらいの、ゴーストタウンになってしまった。原発を建設し、共に歩むということは、街がなくなる以上のリスクを背負っていることを実感した。
私は、20キロ圏のさらに奥に進むことにした。つまり、東京電力福島第一原子力発電所に近づくことにしたのだ。ゴーストタウン化したこの町で、そこに踏みとどまる気持ちを聞いてみたいと思ったからだ。(続)
→東日本大震災ルポ・被災地を歩く:3月31日の卒業式――福島県相馬市立磯部小学校
1969年、栃木県生まれ。フリーライター、ノンフィクション作家。主な取材領域は、生きづらさ、自傷、自殺、援助交際、家出、インターネット・コミュニケーション、少年事件、ネット犯罪など。メール( hampen1017@gmail.com )を通じての相談も受け付けている。
著書に『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎)、『解決!学校クレーム』(河出書房新社)、『学校裏サイト 進化するネットいじめ』(晋遊舎)、『明日、自殺しませんか?』(幻冬舎)、『若者たちはなぜ自殺するのか?』(長崎出版)など。メールマガジン 「悩み、もがき。それでも...」を刊行中。
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