南相馬市、原発20キロ圏内に入る(前編)東日本大震災ルポ・被災地を歩く(2/3 ページ)

» 2011年04月18日 08時00分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]

原発の町、南相馬

 この地域は原発とともに生きてきた地域で、東北電力が浪江〜小高地域に建設準備中の原発があるくらいだ。そのため、避難生活をしている人に聞いても、多くの人たちが「原発は安全だと言われていた」と話していた。家族が原発で働いている人も何人かいて、比較的、原発には抵抗感がない地域でもある。そのため、今回の事故には住民たちもショックを隠せない。

 山間部に近い地域で畜産業を営む男性(60代)は肉牛を250頭飼っている。息子夫婦と孫は避難させたが、男性とその妻はまだこの地域に残っている。市街地よりも山間部に近づけば近づくほど、甲状腺被ばく量は高くなる。なぜ、まだそこに留まるのか。

 「肉牛は一頭80万〜100万(円)。逃げたとして、戻ってきた時に牛がいなかったら、生活ができない」

 この牧場は20〜30キロ圏に位置する。屋内退避が発令されている地域だ。しかし、マスクもしていない男性はそう静かに話して、多くを語らなかった。インタビューを終えると、警戒のためか市の消防団の車がサイレンを鳴らしながら通り過ぎて行った。

20キロ圏内から“逃げない”理由

 20キロ圏内にいる地元の住民たちはどうしてそこにいるのだろうか。20キロ圏内に入ってみた。20キロ圏内に差し掛かると、「立ち入り禁止」の看板がある。その先は、地震被害による道路の補修工事もされていない。そのため、車で進むのも道を選ぶ必要がある。

 原発事故が知らされて以来、この地域の住民たちが退避した。そのため、街中には人が見当たらない。地震で崩れている家があってもそのままで放置状態だ。私が最初に20キロ圏内に入ったときには、津波の被害地域でも、自衛隊や警察による行方不明者の捜索も行われていなかった(現在は捜索が再開されている)。

相馬市では地震被害も放置状態。復興はなかなか進まない

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