Interview:三保谷友彦「倉俣史朗を語る」(1/2 ページ)

» 2011年04月15日 17時39分 公開
[草野恵子,エキサイトイズム]
エキサイトイズム

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※この記事は、エキサイトイズムより転載しています。


 「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展・連動企画。デザインは「コンセプトが大事だ」と、倉俣さんにはそう教わったと語るのは、三保谷硝子店の三保谷友彦氏。倉俣史朗氏のガラスを使いた作品すべてを担当してきた三保谷友彦氏に話を聞く。

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デザインは「コンセプトが大事だ」と、倉俣さんにはそう教わった――三保谷友彦

倉俣史朗さんと三保谷さんの最初のお仕事は、新宿の「高野」(1969年)だったそうですね。

 ガラスで大きな四角いガラスの空間をつくった。扉も什器も全部ガラス。当時はガラスといえば、窓ガラスかせいぜいデパートのショーケースくらいだったから、こんなふうにガラスが「面から立体になる」ということが分かって、とにかくカッコいいと思ったね。

 そのころ、僕は学校を出てすぐの24歳。倉俣さんに出会う前は人生なんて軽いものだと思って生きてきたからね(笑)。三代目だから何の苦労もなく、親父が「店を継げ」っていうからやればいいかな、くらいの気持ちではじめたから、最初はガラス屋がイヤで。

 でも、倉俣さんに出会って「よし、やろう」と決めた。もし倉俣さんに出会わなかったら、この辺りで不動産屋でもやってバブルが弾けて大失敗してたんじゃないかな(笑)。

エキサイトイズム 新宿 高野(1969年)

それから長年にわたって、さまざまなお仕事を倉俣さんとされてきたわけですね。数えきれないほどのやり取りがあったかと思いますが、もっとも印象に残っていることを教えてください。

 いろんなことがあったからなぁ……。今回の「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展は1981年以降の家具の仕事が中心だけれども、それ以前の倉俣さんの作品、とりわけインテリアの仕事はインパクトがあった。

 例えば、赤坂の「クラブ・ジャッド」(1969年)。倉俣さんはここのコンセプトをこう教えてくれた。「お酒を飲みに行くところは、ちょっとした期待感と後ろめたさがあわさった色気のある場所。お寺にお参りするとき、暗いうっそうとした森を通って山を登り、本堂に神々しく光を感じる。そんな風に、一度、真っ暗闇に落とす。そして、行く先に音と光を感じながら進んでいくんだ」と。この店は入口にたどり着くまでに真っ暗な回廊を回りこんで進むようになっていて、距離感と時空間を超え、大人の世界に入っていくような背中がゾクゾクするような期待感を持たせてくれる。

エキサイトイズム クラブ・ジャッド(1969年)

写真でしか見たことはありませんが、そのかっこよさは伝わってきます。

 でも、本当に入ってみないと分からない。今考えるとアーティストのジェームス・タレルの、光の表現にも感じるね。もちろん倉俣さんは彼よりも先にやってたからね。

 インテリアデザインって、音楽やファッションとかが全部入っているんだと……カッコイイなぁと思った。結局、きちっとしたコンセプトがあると、何か物理的に「この形はつくれない」とぶつかっても、すぐに戻って、次に動くことができる。基本的な考え方がはっきりしていれば、それに沿って考え直せばいいわけだから。でも、最近のデザイナーは形から先に入ろうとすることが多い気がするね。デザインは「コンセプトが大事だ」と倉俣さんにはそう教わった。

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