倉俣さんは、新しい素材に対して、つねに積極的だったのでしょうか。
もちろん、常に何か新しい素材に関心があったと思います。意外なところからの発見もあります。カラーアルマイト加工と呼ばれる色付けされたアルミ染色のパイプも、突然きれいなペンを持ってこられて、それをサンプルにカラーアルマイトの試作作りが始まりました。
ペンと同じ仕上げは小さなサイズでは可能でも、サイズが大きくなるとできないことはよくあることで、まずは作れる工場探しから始まります。当時の事務所には、素材の調査・開発を専門に担当する者がいました。「ミス・ブランチ」をつくるときも工場にはり付いていました。1970年代からアクリルの家具はいろいろとつくられていましたが、「ミス・ブランチ」はまた違う初めてトライアルがあり、制作は難しかったと思います。
「ミス・ブランチ」は最初にサンプルをつくったときに、薔薇が押し潰されたようになってしまいました。バラが舞う瞬間をうまく表現するにはどうしたらいいのかということを、工場の人たちと試行錯誤を繰り返し、さらにカットや磨きなどの加工も簡単ではなく、いくつもの工場を渡って完成させていきました。
イメージを具現化するために、現場では並々ならぬ努力が重ねられていたわけですね。
倉俣さんはデザイナーですから、最終的には誰かの手に委ねてつくることになるので、信頼できる職人や周りの人達をとても大切に考えていました。私にはリアルなものに接し、職人から教わることを勧めてくださいましたね。日の明るいうちは現場や工場に通い、図面を描き始めるのはいつも暗くなってからでした。
倉俣さんは、今までにないものをデザインし続けたいという願望がありましたので、考え続け、妥協できなかった。お店や家具ができ上がったときはつかの間のよろこびを味わい、また翌日からは次のプロジェクトに向かう。その繰り返し、とどまることがありませんでした。
21世紀の今、倉俣氏が活躍していたら、どんなことをなさってると思いますか?
同じことをやっているということはないと思います。例えば、同じアクリルという素材を使うにしても、違うステージにいると思いますね。いつも前へという姿勢でした。一歩後退することはあったとしても「停まる」ということは選べない「死ぬまでデザイナーでいたい」と、おっしゃっていましたから。
生前の倉俣さんがお話しされていた構想で、何か覚えていらっしゃることはありますか。
「映画を作りたい」と聞いていました。「1冊の本と1本の映画をつくりたい」と。そのためのスケッチを何枚も楽しんで描かれていました。不思議なサイが登場するスケッチを、よく見せてもらいました。思えば、私が学生のときに講義で初めて倉俣さんに会ったときに、「映画は見た方がいい」という話をしていたのを覚えています。フェリーニやブニュエル、タルコフスキーの話をしたと思います。倉俣さんのデザインは映像のようでもあります。
今の映像技術だったら、相当いろいろなことができたでしょうね。
コンピュータについても、興味を持たれていました。今の進歩を見ても驚かないかもしれません。
インテリアデザイナー。東京生まれ。1986〜91年、クラマタデザイン事務所在籍。1993年、イガラシデザインスタジオ設立。商業空間デザインから、インスタレーション、家具、プロダクト、遊具などの開発を手掛け、携わる領域は「衣・食・住・育」と広がり、現在形のデザインを探求している。武蔵野美術大学教授。
Copyright (C) 1997-2014 Excite Japan Co.,Ltd. All Rights Reserved.
Special
PRアクセスランキング