Interview:五十嵐久枝「倉俣史朗を語る」(1/2 ページ)

» 2011年04月14日 18時54分 公開
[草野恵子,エキサイトイズム]
エキサイトイズム

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※この記事は、エキサイトイズムより転載しています。


「死ぬまでデザイナーでいたい」と、おっしゃっていました――五十嵐久枝

 1986年から1991年まで、クラマタデザイン事務所に在籍していたインテリアデザイナーの五十嵐久枝さん。倉俣さんが亡くなるまでの約5年間、その背中を部下として見つめ続けてきた五十嵐さんに、当時の話を聞いた。

エキサイトイズム 東京・六本木の21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展

まず、五十嵐さんが倉俣さんの事務所に入社されたきっかけを教えてください。

 学校の先生の推薦でした。ちょうど私が桑沢デザイン研究所の研究科に在籍しているときに、先生からアルバイトの話がきました。実はそれが私には知らされない“面接”ということだったようです。アルバイト期間が2週間くらい終わるころに、倉俣さんから直接「事務所で働きませんか」といわれました。私はまったく予期せぬ話で、倉俣さんに憧れる学生は多く、自分のレベルではとても無理、入れるような事務所だとは思っていなかったので、本当に驚きました。倉俣さんは雲の上のデザイナーだと思っていましたから。

それで、晴れて新卒で入社することになったわけですね。

 はい。ちょうど榎本文夫さんが退社されるタイミングだったので、榎本さんから少しでも多く学ぶようにと、1カ月間は榎本さんにはり付いてましたが、教えてもらいたくても「見て盗むもの」といわれるような状況でした。とにかく手探りで事務所にある過去の資料を調べながら、図面を起こしていくというような感じでした。当時は人手不足ということもあって、最初から物件を任されるような状況でしたね。

当時の時代背景もあるのでしょうが、とても職人的な世界だと感じます。それは他の事務所とは違う、独自のやり方だったのでしょうか。

 他の事務所と比較はできませんが、職人的なところも多々ありましたね。スタイルが決まっていた訳ではないので、当時のスタッフによるところもあったと思います。

エキサイトイズム 静岡のバー「COMBRE(コンブレ)」

五十嵐さんは、主にどんなお仕事を担当されたのでしょうか。

 最初は主に物販店、ISSEY MIYAKEの地方店を担当していて、全国各地の現場に出ることが多かったです。「OSB」という素材を使うようになった1988年ころから、飲食店の担当にもなりました。OSBは木のチップを固めたボードです。これは本来、建築部材の下地や梱包で使用される板ですが、倉俣さんはこの板に薄いパールピンクの染色塗装を施して独自のOSBの表情を生み出しました。

 福岡にあるホテル、イル・パラッツオ内のBar「オブローモフ」や長野のレストラン「ファイブ・フォルン」、静岡のバー「COMBRE(コンブレ)」と代表作にも使用しています。COMBREでは、一部の床、壁、天井、テーブルにまでOSBを使い、1つの素材の世界ができ上がりました。木とはまた違った、石のような美しく魅力的な表情です。

エキサイトイズム コンブレ店内は一部の床、壁、天井、テーブルにまでOSBを使って作り上げられた

 建築やインテリアで使う素材には規格サイズがあります。どうしてもデザインがそのサイズの制約を受けることになります。倉俣さんのイメージする壁や天井を「1枚で作りたい」という願望は、現実的にそういう素材では表現に限界がありました。

 このOSBという素材は、現場で板同士を突きつけ、表面を削って継ぎ目がほとんど分からなくなり1枚のように見せることに行き着きました。OSBは倉俣さんのイメージを具現化する可能性を秘めていたと思います。

エキサイトイズム 福岡にあるホテル、イル・パラッツオ内のBar「オブローモフ」
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