コラム
» 2011年04月11日 09時00分 UPDATE

東日本大震災ルポ・被災地を歩く:3月31日の卒業式――福島県相馬市立磯部小学校 (1/3)

あまりに広い範囲が被害を受けた東日本大震災。死者・不明者が万人単位という甚大な被害の裏には、数字では言い表せないひとりひとりの「あの日」と「今」があります。本連載では実際に現地を取材し、被災地の現実をレポートしていきます。

[渋井哲也,Business Media 誠]

 3月11日に発生した東日本大震災。私はなぜか現地に行きたい衝動が生まれた。はっきりとした「仕事」としてではなく、とにかく現地へ行き、見つめ、伝えたい。伝えなければいけないという思いに駆られた。そのため、発表媒体を決めずに動くことにした。媒体から「GO」が出てからでは、初期の現場に踏み込むことはできない。そう思った。だからこそ、まずは車の調達から始めた。

 当初、レンタカーの確保は難しかった。東北方面へのレンタカーは自粛しているとの情報が入ったため、車を持っている友人たちを探した。車のアテがついたら、次はガソリンの確保が課題だ。震災当初、ガソリンが不足し、ガソリンスタンドは大渋滞になっていた。現地に入るための課題がいくつもあった。完全にクリアとなるまでも待ってはいられない。とにかく現地に向かうしかない。車を持っていたフリー編集者と出かけることにした。

 福島県相馬市。福島県は西の会津、中央の中通り、東の浜通りと3つのエリアに分かれている。相馬市は浜通りの北部に位置する。これまでに2回訪れているが、1回目は、都内から東北道の福島西ICで降り、相馬郡飯舘村を経由した。ちなみに、飯舘村は原発に隣接する南相馬市よりも、放射能の数値が高くなっている。海から風が山間部に吹き付けるためだろう。2回目は、東北道から仙台南部自動車道を通り、常磐道を南下した。走行距離は1度目のルートの方が短いが、走行時間は変わらない。

ay_sbimap01.jpg 浜通りの北部に位置する福島県相馬市。地震による津波で、大きな被害を受けた(クリックすると広域の地図を表示します)

 相馬市は山村部から田園風景、市街地と連なっていく、よくある地方都市の一つである。原発問題に揺れている南相馬市は緊張感が漂い人通りも少ないが、その北に位置する相馬市はとどまっている人も多い。交通量も多いが、原発問題もあって、ボランティアは少ない。私が一度目に行った3月26日には、すでに相馬市長の訴えにより、物流も良くなっていた。ほとんどお店が開いてない南相馬市と比べると開店している店は多いが、スーパーやコンビニエンスストアなどでは品不足が続いている。

この先、どうすればいいんだろう

ay_sbi04.jpg 現在は「おじいちゃんの家にいる」という曳地由理さん(右)と相馬市内の親戚宅に避難している寺島有華さん

 避難所になっている市総合福祉センター「はまなす館」。この避難所の駐車場で車中泊をしていたら、午前6時頃、ボランティアの女性に「家がないのですか?」と声をかけられた。「報道です」と説明すると、「たくさん取材していって」と言われた。朝早かったので遠慮していたが、その女性の言葉に甘えさせてもらうことにした。

 はまなす館では、小中学校の子どもたちのほか、教師たちも一緒に避難生活をしていることが分かった。避難所には未就学児が4人、小学生が16人、中学生は7人がいた。相馬市立磯部小学校(118人)と磯部中学校(68人)は生徒が少ないため、日頃から密接に連携をとっている。避難所では小中学校の教師たちが交代で子どもたちを見守っている。3月26日に訪れた際、31日に磯部小学校の卒業式が開かれると聞いた。

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