被災者はワイドショーの素材ではない――報道被害の声を紹介する相場英雄の時事日想(1/2 ページ)

» 2011年04月07日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール

1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『株価操縦』(ダイヤモンド社)、『偽装通貨』(東京書籍)、『偽計 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎』(双葉社)などのほか、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。ブログ:「相場英雄の酩酊日記」、Twitterアカウント:@aibahideo


 東日本大震災の発生からまもなく1カ月が経つ。東京の主要メディアが発する情報の大半は東京電力の福島第1原発事故にシフトし、読者や視聴者の関心も被災地から遠のき始めている。だが、被災者の多くは依然として生活再建のめどすら立たない状況に直面している。ライフラインが復旧し始めた被災地から、次々に大手メディアの無神経な取材への怒りの声が寄せられている。今回はその一端を紹介する。

黒い水

 昨秋、三陸を舞台にした小説を刊行した。執筆に先立ち、筆者は何度も三陸地方に足を運んだ。この間、現地にいる多くの人々にお世話になった。前々週あたりから、現地の声が届き始めた。互いに知人の安否確認を終えると、筆者が連載コラムを担当していることを知る向きの大半がこう切り出す。

 「被災地での取材はむごかった」

 特に、東京の民放、特定の情報番組の取材攻勢に怒りを隠さない向きが多い。「被災者はワイドショーの素材ではない」との声が根強く残っていることを、関係者はキモに銘じておくべきだ。こうした声には、視聴者の基本的人権を擁護する放送倫理・番組向上機構(BPO、参照リンク)の存在を伝えた。腹に据えかねた記者やディレクターの行状を同機構に訴えるよう助言した。

 筆者は先に、当欄で「その報道は誰のため? 被災した子どもにマイクを向けるな」と題する記事を載せた。掲載以降も筆者はかつての同業者に対し、無神経な取材を改めるよう求めたが、残念ながら成果は芳しくない。

 これから触れる事柄は、被災者とその親族の許可を得たものだ。同時に、被災地で傍若無人な振る舞いをした報道陣に伝えてほしいとの願いを託されたものでもある。

 3月11日午後、三陸の港町でのことだ。自宅近くで4歳の妹と遊んでいた10歳のA君は、ごう音とともに迫り来る「黒い水」を見た。直後、水は猛烈な速度で自宅方向に迫った。A君は妹の手を強く握り締め、逃げた。だが、途中で水に追いつかれた。A君は鼻の下まで黒い水に浸かったが、絶対に妹の手を離すことはなかった。ほどなく2人は救助され、現在は自宅があった場所から離れ、仮住まいで家族全員とともに暮らしている。

 一見元気なA君だが、親族によれば1日に何度か落ち込んでいるときがあるという。その理由はこうだ。A君は幼い妹を守り切ったが、もう1人の命を助けられなかったことを今も悔やんでいる。日頃、2人の兄妹をかわいがってくれた近所の主婦が逃げ遅れ、A君の眼前で悲鳴とともに黒い水に沈んだ。この一部始終をA君は今も鮮明に記憶しているのだ。

 A君の体験したことは、決してレアケースではない。広大な沿岸地域を襲った津波は、同地域の生活をすさまじい速度で破壊し、多数の命を奪い取った。避難所に集まった被災者の多くが、A君と同じような体験をして、心身ともに傷を負っていたのだ。

 A君の話を聞いたとき、筆者は絶句した。震災発生直後、取材現場で被災者の息づかいを感じつつ、それでもなお「津波はどうでした?」などとマイクを向けていたメディアの人間が多数いたことに、改めて強い怒りを覚える。

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