なじょして福島のビジネス、再興すっか郷好文の“うふふ”マーケティング(1/3 ページ)

» 2011年03月31日 08時00分 公開
[郷好文,Business Media 誠]

著者プロフィール:郷 好文

マーケティング・リサーチ、新規事業の開発、海外駐在を経て、1999年〜2008年までコンサルティングファームにてマネジメント・コンサルタントとして、事業戦略・マーケティング戦略など多数のプロジェクトに参画。2009年9月、株式会社ことばを設立。12月、異能のコンサルティング集団アンサー・コンサルティングLLPの設立とともに参画。コンサルタント・エッセイストの仕事に加えて、クリエイター支援・創作品販売の「utte(うって)」事業、ギャラリー&スペース「アートマルシェ神田」の運営に携わる。著書に『顧客視点の成長シナリオ』(ファーストプレス)など、印刷業界誌『プリバリ[印]』で「マーケティング価値校」を連載中。中小企業診断士。ブログ「cotobike


 さあ被災地のビジネス支援のことを考えよう。

 全国、いや全世界から義援金や物資が届く。仮設住宅の建築も始まった。ガソリンの供給も道路の復旧も徐々に進み、損壊家屋の調査や処理も始まった。津波にさらわれた町では、行政機能を隣地に移し、被災者支援が組織立ってきた。わずか3週間で、すごいことだ。

 一方、「まだ何も支援をしていない」「できることはないだろうか?」と心苦しく思う人たちもいる。私もその1人。でも支援はこれからが本番。被災地への善意のお金と、国の復興交付金を何にどう使うか? そして実際にどう復興するか? それは農業、工業、商業の復興、つまりビジネスの復興である。

 気仙沼で被災したお笑い芸人・伊達みきおさん(サンドウィッチマン)のブログには、こんな地元の人の言葉があった。

 「必ず、震災時以上の気仙沼を作ります!

 良い言葉だ。気仙沼も壊滅的だと思うが、頑張ってほしい。被災地でも、宮城県は被害の底が見えてきたので、あとは少しずつ積み上げていくだけだ。だが、福島県ではどうだろうか?

福島県はそこで再興できるのか?

 津波の後は原発一色になった。ベクレルやシーベルト、燃料棒にメルトダウン、冷却水に内部被ばく。分かるようで分からない言葉がいっぱい出てきた。放射線漏れだけでなく、漏れる言葉も不安をあおった。退避エリアは半径20キロなのか30キロなのか、屋内待避でいいのか自主避難すべきなのか。避難民は災害だけでなく、政府やマスコミ、世論にも揺らされた。

 宮城県や岩手県も、被災に途方に暮れている。だが、頑張れば“そこで”復興できる可能性は高い。だが福島県では、できないかもしれない。物理的な被害だけでなく「風評被害」もあるからだ。

 福島県はコシヒカリ産地として名高いが、全県で米の作付けを遅らせる指示も出た。まして浜通りと呼ばれる海沿い地域の漁業はどうなるのか? 放射線の不安が低下しても、風評を恐れて大企業が撤退すれば雇用も失われる。現実に「他県へ移住」という選択をする人も出てきた。

福島県観光物産交流協会の地図に筆者追記

 上の図では事故のあった原子力発電所の「30キロ圏」と「浜通り」、「相双(そうそう)」と呼ばれる温和な海洋性気候の地域を表した。この地域資源からいかに復興するのか? 「ここで」であろうと「どこか」であろうと地域資源抜きでは難しい。

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