作品内容が変わることはない――宮崎駿氏らが語る、大震災と新作『コクリコ坂から』(4/6 ページ)

» 2011年03月28日 22時05分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

プロメテウスの火をどうやってコントロールできるのか

――宮崎吾郎さんは地震の当日、どこにいらっしゃって、スタッフのみなさんとどんなお話をされたのか。

宮崎吾郎 地震の瞬間は、スタジオの3階で鈴木プロデューサーと宣伝についての会議をしていました。揺れが始まった時は「鈴木さんがまた貧乏ゆすりをしているんだ」と思ったのですが、揺れがおさまらず、「これは大変なことだ」ということになりました。僕が最初にしたことは、すぐ隣に保育園があるのですが、その保育園に預けている自分の子どもを見に行くことでした。その瞬間に思ったのは家族のことです。それはスタッフも同じだったと思います。

 その次に「スタッフはどうするか」ということで、その日は三々五々早めに帰るということだったと思います。それ以降は「出社せずに自宅待機した方がいい」という話もあれば、「家にいても不安なだけだから仕事がしたい」と言うスタッフもいました。結果的には、少なくともアニメーターや美術の人間は電気がなくても仕事ができるし、家にいても不安なだけだから、会社に来て仕事をしようとなりました。それは会社で、偉い人から呼びかけたということだけではなくて、そういう気持ちのスタッフが多かったと思いますね。

 話が出たのはもちろん「自分たちがどうなるんだろう」ということもありますし、それから被災地にご家族がいるスタッフも何人かいました。それからやはり、「自分たちの作品はこれから夏に向けて作っていけるのか」ということだったと思います。ただ、やはり「僕らが今できるのは、映画を作り続けることだけだろう」ということでは、大きな意味で一致してたのではないかと思います。

――具体的に被災地の方々に向けて、メッセージを発信されたりしていますか。

宮崎駿 もうすでにプロデューサーを通して、具体的にいろいろとできる限りのことはやっています。それから、さまざまな計画もありますが、それは(鈴木)プロデューサーの方から報告する機会があったときにお話しすればいいと思います。一番必要なところに一番必要なものを届けるしかありませんから、今、感傷的にただお金を出せばいいということではないと思っていて、堅実な方法を選ぼうと思っています。もうすでに始めています。

――『崖の上のポニョ』で水没で被災した人たちを、住民たちが大漁旗を掲げて救いに来るシーンがありました。「そういう時でも、みんな明るく元気さを失わずに頑張ってほしい」という希望を込めたかったと以前おっしゃったと思います。こういう状況が生まれて、そういう状況になっているみなさんに、宮崎駿さんはあのシーンを作った1人としてどういうことを思われていますか。

宮崎駿 あの映画の通りだと僕は思っています。私たちの列島は、繰り返し繰り返し地震と火山と台風と津波に襲われてきた島です。それでも実は、この島は、自然の豊かな、恵まれた島だと思います。ですから、「多くの困難や苦しみはあっても、もう一度、人が住む、もっとより美しい島にしていく努力をする甲斐のある時だ」と僕は思っています。

『崖の上のポニョ』

 先ほども言いましたが、今、埋葬されていない人たちをいっぱい抱えながら、あまり立派なことを言いたくありませんが、でもその自然現象の中で、この国を作ってきたわけですから、そのこと自体で僕らが絶望したりする必要はない。むしろ、プロメテウスの火※をどうやってコントロールできるのか。

※プロメテウスの火……ギリシャ神話でプロメテウスが天上の火を盗み出して人間に与えた逸話を引用したもの。火を得た人間は便利さを手に入れた一方、自らを焼き尽くしてしまう可能性のある危険なものを得ることにもなった。

 その国土の一部を喪失する事態に今なりつつありますが、その事態に対して、どのいう風に自分たちが対応できるか。私はこの年ですから、「一歩も退かない」と決めていますが、若いスタッフからは「私は20代です」と言われました(笑)。まあ、それ(年齢の差)を超えることはできませんが、僕は「ここにいよう」と思っています。

 風評被害や乳幼児の水については本当に配慮しなければいけないのに、僕と同じような年の人が水瓶を買いに並ぶなんて、もってのほかだと思います。その人民の愚かさをマスコミは糾弾してほしいと思います。

 僕が普段(パンを)買っているパン屋のおやじは、地震の翌日からいつもより早く起きてパンを焼いてくれたので、そのパンを買うことができました。それで、スーパーに行かざるをえない人たちが食パンを買えないという話もあった中、パンを買ってくることができました。棚の中をからっぽにする(まで買い占める)ことはしませんでしたが(笑)。

 それからいつも差し入れのために焼きそばや団子を買う店も、そのまま店を続けてくれました。やはり差し入れにお菓子を買うお菓子屋も作り続けてくれました。僕は「だから、僕らも映画を作り続けよう」と思います。今朝会ったパン屋の親父は「まだ元気だ」と言い張っていましたが、そろそろくたびれてきて、パンも売れ行きがだんだん落ち着いてきたので、「毎日差し入れを買うのはしんどいな」と僕も思いつつ、今日もまた買ってきました(笑)。だんだん、平静になっていくでしょう。

 今、僕は文明論という感じで高所からいろんなことは語りたくない。その(震災の)死者を悼むところにいようと思います

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