“若者的なる者が消費する”という概念ちきりんの“社会派”で行こう!(1/3 ページ)

» 2011年03月28日 08時00分 公開
[ちきりん,Business Media 誠]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2009年3月26日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。ちきりんさんが茨城で被災、東京に戻るまでのドキュメントはこちら→「03.11 大惨事とミラクル」(参照リンク)


 これまで2回にわたって、日本人のお金の流れについて見てきました。

 →若者はお金を持っていないんです!

 →日本の消費プロモーションに足りないもの

 日本の高齢者がお金を貯蓄に塩漬けにして消費しない理由を、「将来が不安だからお金を使わない」という1点だけで説明しようとする人もいるのですが、ちきりんはそれがすべてだとは思っていません。

 高齢者向けの消費プロモーションが医療・介護分野を除いて盛り上がらないのは、モノを売る側、特に広告、マーケティング側の業界や人たちに「消費をするのは若者である」という固定観念が強く残っているからです。高度成長期、人口増大期に形成されたこの感覚は、高齢化社会を迎え、若者の所得が非常に低く抑えられている今でも根強く残っています。

 「アクティブシニア」という言葉を聞いたことがある方も多いでしょう。これは、旅行や趣味、さらには恋愛にまでアクティブに行動する高齢者層を指す言葉です。この概念は「若者=アクティブ」「高齢者=非アクティブ」という前提から発しており、「最近は高齢者の中にも若者のようにアクティブな生活を送る人が現れてきた」ということを意味しています。

 しかし、この言葉は「若者のように行動するシニア」を消費者として認識する一方、「若者のようにアクティブに行動しない、ごく普通のシニア」については、消費者として認識しないという問題を含んでいます。現実的には「シニアらしいシニア」が大半なわけですから、これでは高齢者の大半は消費者と認識されないままになってしまいます。

ちょい悪オヤジなんてそんなにいない

 実はこれは「ビジネス界における女性」の扱われ方と同じです。男性企業社会はずっと「男性と同じように働く女性だけを労働者仲間と認識する」という考えを持っていました。「生物学的には女だが、労働者としては(有給休暇も育児休暇もとらず、命じられるままに転勤する)男のように振るまう者」だけを切り出して「ビジネス界で通用する人材」と位置付けてきたのです。

 これは「生物学的には高齢者だが、消費者としては若者として振る舞う者」だけを「消費社会において意味のある存在」と位置付ける考え方とまったく同じです。さらに「ちょい悪オヤジ」という言葉も「中高年ではあるが、若者的な消費行動をする人」という概念です。

 一般的に、中高年になればローンと教育費負担に追われて若者的な消費を続けることは難しくなります。しかし未婚率、離婚率が高まり、年功序列から離れた職場で高給をもらう人が現われ、“若者のように食べ歩いたり、ファッションやクルマにお金を注いだり、恋愛にも関心がある”中高年が現れてきたので、“売る側”は彼らを消費者として意識し始めました。

 しかし、ここでも「若者的な行動をしない、中高年らしい中高年」は消費市場から切り捨てられてしまっています。実際には大半の中高年はちょい悪オヤジなどではないにも関わらず、です。

 このように、この国の消費市場を見る目はあまりにも若者偏重です。売ろうとする側に「消費をするのは若者的なる人である」という固定概念があるのです。

 しかし、実際には人数も減り、経済的余裕もなくなった若者が、昔のように派手に消費してくれるわけではありません。それを企業側は「若者が●●を買わなくなった」「若者の●●離れが深刻」と騒いでいるわけですが、消費を期待すべき対象はもはや若者ではないのです。

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