忘れられない“わたしの小さな地下街”たち郷好文の“うふふ”マーケティング(1/3 ページ)

» 2011年03月17日 08時00分 公開
[郷好文,Business Media 誠]

著者プロフィール:郷 好文

マーケティング・リサーチ、新規事業の開発、海外駐在を経て、1999年〜2008年までコンサルティングファームにてマネジメント・コンサルタントとして、事業戦略・マーケティング戦略など多数のプロジェクトに参画。2009年9月、株式会社ことばを設立。12月、異能のコンサルティング集団アンサー・コンサルティングLLPの設立とともに参画。コンサルタント・エッセイストの仕事に加えて、クリエイター支援・創作品販売の「utte(うって)」事業、ギャラリー&スペース「アートマルシェ神田」の運営に携わる。著書に『顧客視点の成長シナリオ』(ファーストプレス)など、印刷業界誌『プリバリ[印]』で「マーケティング価値校」を連載中。中小企業診断士。ブログ「cotobike


 2011年1月、日本最古の地下街がその歴史に幕を下ろした。「須田町ストア」である。

 それは東京メトロ銀座線の神田駅、秋葉原電器街方面への地下通路にあった。記録によれば、地下鉄神田駅が開業した翌年、1932年(昭和7年)にオープン。最盛期には23店舗も営業していたという。須田町交差点のそばにある6番出口を降りると、映画の舞台になりそうな通路が70メートルほど続く。

今はただの地下道となっている

 私の記憶では、最後の2店、靴屋ではサンダルとスリッポンのビジネスシューズを売り、散髪屋ではレトロな店主がはさみを握り、銀髪のお客を座らせていた。およそ80年の歴史を閉じ、立ち退いた。

 6番出口は先週から新築ビルからの出入口として再オープンした。こざっぱりした通路がなぜかつまらない。通路に残された、少し潜る感じの公共トイレの建築仕様が、昔の建築家の粋を伝える。

再オープンした6番出口

銀座線の地下の魅力

 レトロな地下街、その多くが日本最初の地下鉄である銀座線にある。銀座線は1927年に浅草〜上野間で開業した。上野駅には今のJRに向かう50〜60メートルの通路に「上野駅地下街」があった。1930年に当時の東京地下鉄道が開業したものだった。最後の3軒の飲食店は、2002年ころに立ち退き、再開発された。今では近代的な「アトレ・レトロゲート」と「エチカフィット」がある。

アトレ・レトロゲート

 銀座線が上野駅から万世橋駅まで延伸したのは1930年、翌1931年には神田駅が開業。1932年に三越前まで、1934年には新橋、そして渋谷まで、全線が開業した。地下街としては1952年に都営東銀座駅から銀座駅までの通路にあるシブい三原橋地下街が開業。その後、銀座の地下街もオープンした。

 新橋地下街(ウイング新橋)は意外に新しい1972年の開業。東京メトロ新橋駅からJRへ乗り継ぐ通路にある、衣料品や靴、食品などを販売する仮設店舗のようなエリアが気になる。“Yシャツ”ではなく“カッターシャツ”が売られる昔っぽさに思わず心がほぐれる。

 私のとっておきの2つの“小さな地下街”。1つは京橋駅の7番出口にある、明治屋地下から地上に上がる出入口。そこには飲食店が1軒あるのみ。だから“街”ではないが、そこはなぜかホッとする私の地下街である。

京橋駅の7番出口

 もう1つは虎ノ門駅の10番出口にある、ディープな隠れ地下街だ。改札を出ると「おむすび権米衛」があり、そこを右に折れて中華飲食店、喫茶、薬局などが続く。迷路のような通路を抜けると休憩場所があり、扉を押して階段を上がると「え、こんなところ!」と霞が関の裏手の地上に出る。“地下街”というより“地下路地”。これもまた楽し。

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