日本が注目すべきこと、それはエジプトの動向藤田正美の時事日想(1/2 ページ)

» 2011年02月28日 08時00分 公開
[藤田正美,Business Media 誠]

著者プロフィール:藤田正美

「ニューズウィーク日本版」元編集長。東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として14年間の経験を積む。1985年に「よりグローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年に同誌編集長、2001年〜2004年3月に同誌編集主幹を勤める。2004年4月からはフリーランスとして、インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。ブログ「藤田正美の世の中まるごと“Observer”


 アフリカ北部、中東で王政や独裁政権に対するデモが燎原(りょうげん)の火のごとく広まっている。チュニジア、ヨルダン、エジプト、バーレーン、リビア、アルジェリア、イエメン、イラン、モロッコ。Facebookなどを使って民衆がデモを組織し、同時に政府が反体制派を監視する。ネットワーク社会の力を見せつけられる半面、政権を倒した後、どう始末をつけるのかがなかなか見えてこない。

 これだけ急激に北アフリカから中東にかけての地域が不安定化すると、さまざまなところに影響が出てくる。1つは石油だ。すでにニューヨークのWTI(West Texas Intermediate:世界的に注目される原油価格の指標)の油種相場は1バレル100ドルに近づきつつある。ロンドンでは北海ブレントが110ドルを突破した。

再び石油ショックか

 相場はしょせん変動するものだが(ニューヨークでもつい数年前に100ドルに達したことがある)、今回はそうした変動とは性格を異にすると思う。問題なのは、リビアで一部精油所が操業を停止したという報道にあるように、政治的混乱で原油生産あるいは積み出しが停止することだ。世界第8位の産油国リビアの機能が停止すれば、世界はかつての石油ショックに並ぶようなパニックをまた経験するかもしれない。

WTI原油先物(日足チャート、出典:Chart park)

 いわゆる第一次石油ショックは、1973年に起きた第四次中東戦争をきっかけに、ペルシャ湾岸石油産出国が原油の段階的値上げ、生産の削減、さらに親イスラエル国に対する禁輸措置を取ったために起きた。これによって日本は総需要抑制策が取られたが、エネルギー価格の上昇に伴ってインフレが加速することとなった。第二次石油ショックは1979年。イランのパーレビ王朝に対するイスラム革命がきっかけとなった。大産油国イランの生産が中断し、大量にイランから原油を買っていた日本で需給が逼迫(ひっぱく)することになった。

 イランのケースで注目しておかなければならないのは、革命前の政権が親米政権であり、革命以降は反米になったことである(そして米国にとって皮肉なことに、イランは中東や北アフリカでは最も民主的な国家となっている)。イランでも首都テヘランで大規模な反政府デモがあったが、政権を転覆するほどの力はない。2009年の大統領選挙前後にも反体制派のデモが盛んに行われたが、アフマディネジャド大統領が再選されている。地方の農民を中心に現大統領への支持は強い。

 エジプトがもしイランと同じように、親米政権から反米政権になるようなことがあれば、米国にとっては一大事である。エネルギーが問題ではなく、エジプトがイスラエルと平和条約を結んでいるからだ。もし次の権力を握る政党が、例えばムスリム同胞団のようなイスラム原理主義組織になれば、反米というだけでなくイスラエルとの平和条約が危うくなり、中東情勢は一気に悪化する。

 ただ今回のエジプトの推移を見ていると、最初は警察がデモ隊に圧力を加えていたが、ムバラク支持勢力が反体制派に攻撃をしかけるようになって、事態を鎮静化させた。現在は軍が暫定的に権力を掌握し、次の政権へとつなぐ準備を進めている。今回の反政府行動が始まるずっと以前から、軍とムバラク大統領は政権移行をめぐる問題で水面下で抗争を繰り広げていた。そして軍は、民主化を求める若者を中心とするグループを利用し、権力移行の手綱を握ることに成功したのである。米国は、軍がこの政権移行に成功し、民主化グループの要求を取り入れつつ、選挙で安定した親米政権が生まれることを期待している。まだ予断は許されないが、今のところ「イラン化」は避けられる可能性のほうが高いと思う(あとスエズ運河をイランの軍艦が通過したことが、エジプトの姿勢の変化ということにつながるのかどうかも、気になるポイントである)。

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