温泉偽装事件を他山の石としているのではないか、と私が推察した理由がもう1つある。それは集客戦略の革新である。
多くの宿では、これまで女将や営業担当者が旅行代理店回りをして、お客を回してもらうよう働きかけてきた。だが、あまり代理店に依存し過ぎると、いつしか頭が上がらなくなり、宿側として「このキャッチコピーはいかがなものか……」と困惑するようなパンフレットや雑誌記事でも拒否しにくくなる。
それでたくさんお客が回ってくるうちはまだ良いが、温泉の色や状態がキャッチコピーと異なってきた時、お客からのクレームが殺到し、「詐欺だ! 金返せ!」といった騒ぎになる。そうやって追い詰められた宿の中には、温泉の方をパンフレットや雑誌記事の記述に合わせる(=偽装する)ところも出てくる。2004年の温泉偽装事件では、そういう宿も存在した。
そういうことを合わせ考えるならば、代理店に過度に依存しない営業戦略が必要になってくるはずだ。その点、慶雲館の戦略は独自性がある。
「当館では、“全員が営業マン”という考え方を推進しています。料理長や予約担当、客室担当の仲居など、すべてのスタッフが自分の固定客を持っているんですよ。年間の来客数2万8000人のうち、40%ほどが固定客です。比率としてはちょうど良いのではないかと思います。この比率が50〜60%になると、逆に硬直化してしまうと思います」
深澤さんがそう言うと、料理長の佐藤さんもうなずく。
「私の場合ですと、毎月宿泊してくださるお客さまが5〜10組、2カ月に1回くらい宿泊してくださるお客さまが10〜20組いらっしゃいます」
客単価が2万5000円という高級旅館の同館で、毎月や2カ月に1回といった頻度で宿泊してくれるファンがつくというのは驚くべきことだ。佐藤さんは毎晩、夕食時にすべての客室を回り、お客へのあいさつと料理の説明をしている。料理のワザとセンスに加え、実直なその人柄もあって、お客からかわいがられているという。お客の好みも把握しており、肉料理が苦手な人には、魚料理や精進料理を出すようにしていると話す。
総務部長の川野さんも言う。
「私の場合、社長(深澤氏)から『クレームをつけてきたお客さまを固定客にしろ』と常々言われているんですよ(笑)。数ですか? そうですね10組くらいはいらっしゃるでしょうか」
クレームをつけてくるお客と言っても、悪意に満ちたクレーマーばかりではない。善意から改善のリクエストをしてくれるお客もまた多い。そうした善意の人々に対して誠心誠意接することで、彼らがヘビーユーザーになってくれるケースは、業種を問わず、あり得ることだろう。川野さんは見事、それをやってのけているということだ。
しかし、何と言っても驚かされるのは、仲居さんたちにそれぞれ固定ファンがいるという事実だ。
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