医者と患者、すれ違う前提を越えてちきりんの“社会派”で行こう!(2/3 ページ)

» 2011年02月21日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

生きているすべてのものは死ぬ可能性がある

 もう1つ前提に違いがあると思われるのは、「生きているすべてのものは死ぬ可能性がある。しかも、それは避けられない時がある」ということでしょう。

 例えば「出産は母子ともに健康で当たり前」というのが、産む側の前提のように思えます。しかし医療従事者側からすれば必ずしもそうではないでしょう。特に初産が20代前半であった昔と、30代半ばでの初産が珍しくない現代とでは、出産のリスクは大きく異なるはずです。

 また、手術といえば「簡単な手術」「難しい手術」などという区分をしがちですが、実際には、麻酔や“切る”という行為自体(出血自体)が、死亡原因になりうるリスクを含んでいます。どんなに簡単と言われる手術でも“絶対安心”などということはありえないというのが医者側の前提ではないでしょうか。

 患者側からすれば「簡単な手術だと言われていたのに、こんなことになるなんて医者のミス以外にあり得ない」となりがちですが、「リスクのない手術などない」のが現実です。だからこそどんな手術でも、本人か家族がそのリスクを理解したという同意書が必要なのです。

 また、「副作用のない治療方法などない」ということも前提として理解すべきかもしれません。放射線は細胞をぶちこわすし、体にメスを入れれば体全体の抵抗力や免疫力は大きく毀損(きそん)されます。すべてのケミカル(化学的な薬品)は、体の中に“不自然な作用”を残していくのです。

 しかし、一般人でそんな前提を踏まえている人はほとんどいません。だから薬を飲んでみて、本来の病気とは違う全然別の症状が現れるとびっくりします。そして、医者にそれを言うと「ああ、その薬はそーなるんです」と軽くいなされてしまい……、この時点で初めて“お互いの前提の違い”に気付くことさえあります。

医者の目的と患者側の目的は必ずしも同じではない

 もう1つ、「医者の目的と患者側の目的は必ずしも同じではない」ということも理解しておくべきことでしょう。多くの場合、医者は「病気を治そう」とするけれど、患者側にとっては、必ずしもそれが優先順位の1番にあるとは限りません。反対に、医者が「治療の効果はない」と考えていても、患者側が「たとえ無駄であっても医療行為を続けてほしい」と願う場合もあるでしょう。

 最近は、末期ガンで余命を宣告された人が入院ではなく家族とすごすことを選ぶというストーリーの映画が作られたり、妊娠中に病気が判明し、治療と出産のいずれを優先させるかをテーマにしたドキュメンタリーも作られました。クオリティオブライフや緩和ケア、さらには安楽死問題なども、「治療の目的は何か」という問いの延長線上にある議論だと思います。

 治療に関する意思決定では、病気になった自分が主役です。「自分の人生や生活をどうしたいか」という点から考え始め、「どんな治療を受けたいか」という判断を“自分が”より良く行うために、医療のプロである医者のアドバイスを活用するという思考が必要となります。

 医者は「医学的に専門的なアドバイスをくれる人」であって、「治療判断における主権者は患者である自分」という関係をお互いが理解することが重要なのです。

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