早速、私たちは「梅見月の宴」という会席料理をいただいた。ちなみに慶雲館の食事は部屋出しである。
「『たとえ旅行代理店のツアーバスでいらっしゃったお客さまであっても、いったん当館に入られたら、個人のお客さまとして、ゆっくりとおくつろぎいただきたい』というのが当館のおもてなしの心です。食事のお部屋出しというのも、その現れなのです」(深澤さん)
慶雲館では料理は見た目も大切ということで、有田焼の器にこだわり、特注品まで作って、料理の色合いとの調和を図っているという。私たちの部屋を担当していただいた仲居の東郷友紀さんがコースの説明をしてくれた。
「岩魚の塩焼き、甲州牛の溶岩焼きにクライマックスが来るように、徐々に味付けが濃くなるようにするのが料理長のこだわりなんです」
確かに食前酒(甲州ワイン)に続く先付けや前菜は、若い女性客を強く意識したようなチャーミングな一皿で、味付けは素材の持ち味を生かす上品なもの。
しかし、東郷さんの言葉の通り、吸い物、茜鱒や湯葉(地元名産)のお造り、柚子饅頭(柚子も地元名産)へと進むにつれてテンションは上がり、次への期待感がいやがうえにも高まってくる。そして最初の驚きがやってくる。串を打った堂々たる岩魚の塩焼きの登場である。
佐藤さんが日々努力を傾けているだけあって、確かにこの岩魚はおいしい。同館の1番人気というのも分かる。岩魚自体が、川魚臭くなく上品なのはもちろん、振られている塩が岩魚のうま味をしっかりと引き出しているようだ。頭からかぶりついて、平らげさせてもらった。食事は部屋出しなので、女性客でも遠慮なくかぶりつけるだろう。
「素材の良さをどうやったら生かせるかを考え、7種類の塩を使い分けるようにしています。すべて国産の海水天然塩です。安心・安全という点からもそうしています」(佐藤さん)
そしてクライマックスが、甲州牛A5ランク肉の溶岩焼きである。佐藤さんは思いがけないことを語った。
「富士山の2合目の溶岩じゃないといけないんですよ。これも地元の業者と一緒になっていろいろと試してみたのですが、例えば3合目の溶岩だと牛肉の脂の溶け具合が違ってくるんです」
地元山梨県に徹底してこだわりつつも、その素材の良さに甘えることなく、その持ち味を出し切るための研究努力を重ねている佐藤さん。まさにプロの仕事ぶりだ。
岩魚と甲州牛の興奮を鎮めるかのように、酢の物、止め椀、香の物、御飯、デザートと続き、深い充足感のうちに梅見月の宴は終了した。
以上、前編では温泉と料理という慶雲館のウリになっている2つのファクターにフォーカスして、同館の魅力の一端をご紹介した。
しかし、温泉と料理だけ良ければ旅館が繁盛するかといえば、現代の旅館経営は決してそんなに甘いものではない。そこには、激動の1300年を生き抜いてきてきた慶雲館ならではの、サバイバルの知恵ともいうべきものがあるようだ。それを次回の後編で探ってみたい。
→後編に続く
1956年福岡県生まれ、東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在は自由が丘産能短大・講師、文筆家、戦略経営協会・理事・事務局長。企業の「経営革新」、ビジネスパーソンの「自己革新」を主要なテーマに、戦略経営の視点から、フジサンケイビジネスアイ、毎日コミュニケーションズなどに連載記事を執筆中。主要著書として、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか」、「43の図表でわかる戦略経営」、「ヤマハ発動機の経営革新」などがある。趣味は、クラシック音楽、美術、スキー、ハワイぶらぶら旅など。
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