正義のジャーナリズムか、史上最悪の情報テロか?――『全貌ウィキリークス』で読むWikileaks(4/5 ページ)

» 2011年02月10日 21時00分 公開
[吉岡綾乃,Business Media 誠]

ウィキリークス包囲網

wikileaks ウィキリークスのトップページ(Wikileaks.org)

 ヒラリーはまず親交の深い西側同盟国の外相たちに電話をかけ、次に国務省にいる国家安全保障政策のエキスパートを集めて緊急チームを結成し、メディア各社に対して「国家安全保障に関わる公電を公表しないよう」など、いくつかの要請を行った。「メディアに対しては怒っていない、敵はウィキリークスと、情報提供者と推定されるブラッドリー・マニングである」という立場を明確にしたのだ。

 米国政府はウィキリークスへの敵対姿勢を明確にした。ブラッドリー・マニングが逮捕され、関係者にも捜査の手が伸びた。Wikileaks.orgへDDoS攻撃が何度も仕掛けられたため、ウィキリークスはサーバを避難させるべくAmazonのサーバレンタルサービスを利用するが、政治的圧力を受けたAmazonはサービスを打ち切った(参照記事)。また、DNSサービスも止められてしまったことにより、Wikileaks.orgはネット上に存在できなくなってしまう(後に復活)。追撃の手は金融機関にもまわり、銀行口座を停止され、PayPalを解約され、さらにマスターカードやVISAもウィキリークスへの支払を拒否した。ウィキリークスは資金調達のルートを絶たれてしまったのだ。

 2010年11月、インターポール(国際刑事警察機構)はジュリアン・アサンジを世界188カ国で国際指名手配した。容疑は婦女暴行容疑。スウェーデンで女性に乱暴したというのだ。12月7日にアサンジはロンドンの警察に出頭して逮捕されるが、その後保釈されている。『全貌ウィキリークス』に書かれているのはここまでだ。年が明けて昨日(2月9日)、アサンジをスウェーデン当局に引き渡すかどうか、ロンドンの裁判所が今週末に審理を行うというニュースが流れた。ジュリアン・アサンジはこれからどうなるのか、決定は2月11日に下される。

ジュリアン・アサンジとはどんな人物なのか?

 以上2010年に起こったことを中心に、ウィキリークスをめぐるできごとについてまとめてみた。ここまで読んで「ジュリアン・アサンジとはどんな人物だろう?」と疑問を持った方も多いのではないだろうか。ジャーナリストなのか? 革命家なのか? 反政府分子なのか? しかも女性へ性暴力で捕まるというくらいだから、粗野なタイプなのだろうか?

 ジュリアン・アサンジは1971年7月3日生まれの39歳。米国でもスウェーデンでもなく、オーストラリアの生まれである。『全貌ウィキリークス』にアサンジ本人が語った内容によれば、母親がまだ若いころから母子2人でオーストラリアを転々とし、逃亡生活の中で育ったという。

 アサンジは子供のころから非常に頭がよく、コンピュータに強い興味を示した。友人たちの間ではゲームでいかに高得点を出すかが主な関心事だったが、アサンジは得点ではなく、ゲームプログラムの中にプログラマーが仕込んだメッセージを探し出すことに喜びを見いだしていたという。オーストラリアでさまざまなネットワークに入りこめるようになったアサンジは、さまざまな国に行って、ハッカー同士の交流を深めていく。ジャーナリストでも、政治活動好きの活動家でもなく、彼の本質は「ハッカー」なのだ。

 一つ印象的なのが、アサンジがメルボルン大学の数学科を退学するくだりだ。メルボルン大学は米陸軍と契約を結んでおり、ペンタゴンから研究資金が同大学に流れ込んでいた。アサンジは砂の挙動に関するプロジェクトに加わって研究をしていたが、これは例えば、ヨルダン川西岸地区でパレスチナ人と戦うためのブルドーザーなどの車両性能を高めるために利用されるのだという。アサンジは「殺人機械の最適化」と呼び、そのために自分の研究成果を差し出すのをよしとしなかった。アサンジは自分の行っていることを無政府主義的と認めつつも、政治的に右か左かと問われることを嫌っている。政治的な信条ではなく、機密情報を公開することによって、戦争終結が近づくと心から信じている節がある。

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