「私教える人、僕学ぶ人」は×、強みを生かす組織のあり方とは(1/2 ページ)

» 2011年02月08日 08時00分 公開
[川口雅裕,INSIGHT NOW!]
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著者プロフィール

川口雅裕(かわぐち・まさひろ)

イニシアチブ・パートナーズ代表。京都大学教育学部卒業後、1988年にリクルートコスモス(現コスモスイニシア)入社。人事部門で組織人事・制度設計・労務管理・採用・教育研修などに携わったのち、経営企画室で広報(メディア対応・IR)および経営企画を担当。2003年より株式会社マングローブ取締役・関西支社長。2010年1月にイニシアチブ・パートナーズを設立。ブログ「関西の人事コンサルタントのブログ


 「この人はプロであり育てる側の人」「この人は素人であり育てられる側の人」という色分けが(無意識でも)なされている会社や組織は、非常に多くあります。まるで、学校における先生と生徒のように“教える人”と“学ぶ人”という役割を固定してしまいます。

 例えば、課長以上の管理職は“教える(育てる)側”で、それより下の人間は“教えられる(育てられる)側”、と位置付けているような組織です。マネジメントの目的の1つは人材育成なので、教えよう、育てようという意識や行動は良いのですが、かと言ってこのように役割を固定してしまうと、意に反して育成の効果が限定的になってしまうというのが難しいところです。

 当然のことですが、課長がすべての分野で知識も技術もメンバーより優れている、ということはありえませんし、課長より次長が、次長より部長がすべての分野でレベルが高い、などということもありません。人事制度において能力等級が設定され、例えば1級、2級、3級……と上がっていくような仕組みがあったとして、等級が上である人が下の人が持っている知識をすべての分野で上回っているわけはなく、下の人ができるようなことは上の人もすべてできるということもありません。

 現実には、強みや得意分野はそれぞれがバラバラに持っていて、目に見えないので分かりにくいものの、能力は組織内部で常に多様な状態です。なのに、教える側と学ぶ側という役割を固定してしまうと、“学ぶ側”とされた人たちは学ぶだけになるので、せっかく持っている強みや得意が披露されることなく埋もれてしまいます。また、“教える側”とされた(もしくは思い込んだ)人たちは、教えることを探そうとするために、“学ぶ側”の人たちの弱みや不得意ばかりに視点が集中してしまいますし、自分の弱みや不得意を見ようともしなくなります。せっかくの強みや得意が埋もれ、気付くべき弱みや不得意が無視される……これは、実にもったいないことです。

 「強みや得意分野はそれぞれがバラバラに持っていて、能力は組織内部で常に多様な状態だ」という前提に立つと、すべての人が、ある時は教える側になり、ある時は学ぶ側に回るようにすべきでしょう。組織全体の能力を高めるためには、分野によって、状況に応じて適切な人が階層などには関係なく講師となり、コンサルタントになる状態こそ望ましい姿であると言えます。

 互いの強みや得意を認め合い、それを階層や部署を越えて教え合えるような組織を作ること。人材育成を考えるなら、自分が直接教えるだけでなく、教え合う仕組みや風土を作ることが非常に重要であるということです。

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