翻って現在は、こうした現象がより顕著になっているのだ。
「クルマや電機、流通など一大スポンサー企業に対して、批判はもとより嫌味を書いただけでも一騒動起こる」(某紙中堅記者)という側面が強まっているのだ。
一騒動とは、企業側からのクレームはもとより、メディア側の広告営業、ひいてはこれを過度に気にする編集幹部から、自主規制を暗に迫るよう指示が出されるというのだ。
先に触れたドラマの一件は、あくまでもフィクションの世界だ。ただ、物語を創るスタッフは真剣に取り組んでおり、スポンサーによる過度な介入はドラマの質をスポイルさせてしまう。
報道も同様だ。こちらはノンフィクションの世界であり、ニュース価値があるとみれば、スポンサーの顔色など気にせず叩かねばならないのは言うまでもない。本稿では詳細な情報をあえて出さなかったが、現場記者、特に経済や産業に関わる担当者は日々こうしたプレッシャーにさらされ、ストレスを溜め込んでいるのだ。
新聞、テレビが広告なしに立ち行かないのは当然だが、スポンサーの過度な出しゃばり、あるいはこれにおもねるような自主規制が、本年も増加する兆しがある。
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