家庭だけで解決できるのか 親の介護、育児、そして高齢ニートちきりんの“社会派”で行こう!(1/3 ページ)

» 2010年12月20日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん(Twitter:@InsideCHIKIRIN)。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2007年10月9日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 民法では、第752条で夫婦とその子の間の扶養義務(生活保持義務)を、また第877条で親族間の扶養義務(生活扶助義務)を定めています。親族とは直系血族(祖父母、親、子、孫など)と兄弟姉妹を意味します。

 法律に書いてあるということは、守らないと違法ということです。親が子どもを放置することも、子どもが介護の必要な老親を放置することも違法です。このあたりは心情的にも納得できます。

 でも、兄弟姉妹になると微妙ですよね。若い時ならともかく、全員80代になってお互い10年以上も会っていないのに、「遠く離れた地域で困窮している兄を扶養する義務がある」と言われたら、戸惑う人もいるでしょう。

 この扶養義務が現実的に関係するのは、生活保護の申請時です。「まずは私的扶養(親族間の扶養義務)、それが利用できない場合に公的扶養(生活保護)」という原則があり、役所は生活保護の申請者に対して、まずは家族に助けを求めるよう指導します。

 今回、考えたいのは、この「家庭内の問題は、まず家庭内で解決すべし」という原則についてです。

 家族間では扶養義務以外でも例えば、「夫婦間の強姦罪は成り立つか」とか「親の財布から同居の息子(成人)がお金を盗んだ場合に窃盗罪が成り立つか」などの問題があります。いずれも日本では犯罪として成立する事例は少なく、「家の中のことには法律は口をださない」というのが現在の日本の原則(慣行)のようです。

 ところが、伝統的な家族観や典型的な家族関係が崩壊すると、家庭内では解決できないことが増えてきます。するとそれらについても、家庭外(=社会)で解決しなければならなくなります。

 この背景にある最大の変化は、“家族の関係性”が急速に多様化していることです。子連れの離婚や再婚の増加に伴い、「会ったことはないけれど、血のつながった親」(=小さい時に親が離婚し、母親に育てられた子どもにとっての、実の父親との関係)とか、「まったく心が通じ合ったことのない親子」(親の再婚相手との関係)、「母親も父親も自分とは異なる兄弟や姉妹」とか「前の前の前の夫の子ども」のような関係が、出現し始めています。

 これらの関係を伝統的な「血のつながりがあり、法律的な関係もあり、かつ、長年ともに過ごしてきた実体的な家族」と同様に扱い、「家族だから扶養義務がある」「それは家庭の中で解決すべき問題」と言われても、心情的に納得できないケースが出てくるのは当然です。

 つまり、「問題解決コミュニティとしての家庭の崩壊」、もしくは「家庭の問題解決能力の低減」が起こっており、そのために「家庭内問題の社会化」や「家庭問題の可視化・顕在化」が起こりつつあるのです。

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