元気がないと言われるが……ニホンの若者には何が足りないのかちきりん×磯崎哲也のマジメにおちゃらける(2)(2/6 ページ)

» 2010年12月07日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

迷わない生き方を模索

証券界でも働いていた磯崎さん(写真と本文は関係ありません)

磯崎:インターネットを使って何をすればもうかるのか? どの領域が最初に花開くのか? といったことを考えていくうちに「金融はどうかな?」と思ったんですよ。インターネットを使う人もまだほとんどいない時代でしたので「電子商取引」でもうけるのはまだ難しそうだけど、「金融は扱う額が大きいので、ひょっとしたらいけるかも」と考えました。でも金融と言っても、銀行の決済のようなサービスだと単価が安いので、ユーザーが1000万人単位にならないと難しいと思いました。そこでインターネットでの証券取引を調べました。

 日本では1999年に「証券ビッグバン」があり、株式の売買手数料が大幅に下がることになりました。それまでは個人投資家は売買代金の1%を証券会社に支払っていましたが、それが自由化されたわけです。調査結果などを講演会で話しているときに、現在のカブドットコム証券の齋藤正勝社長と知り合いになりました。「伊藤忠商事がオンライン証券の設立を検討している」という話を聞いていたので、齋藤さんのチームを紹介しました。そして僕も、その仕事の経営計画や資金調達に関わることになりました。

 証券会社を立ち上げる仕事はとてもエキサイティングだったのですが、僕は証券会社に勤めたことがないので、具体的なオペレーションの話がよく分かりませんでした(笑)。設立準備会社がもうすぐできるぞというタイミングでそこを辞め、ネットイヤーという会社で働くことにしました。

 ネットイヤーはシリコンバレーで創業し、日本でもネット系のベンチャー企業を設立間もないころから育成する「インキュベーション」(起業支援)を行おうと考えていました。このことを聞いた僕は「これだ!」と思い、日本の第一号社員になりました。1999年のことです。その後、数十億円の資金調達に成功して従業員も100人以上になりましたが、ネットバブルの崩壊で、すぐにIPO(新規株式公開)という感じでもなくなってしまいました。

 そのころの年齢は39歳。「来年は『不惑』なので、迷わない生き方は何か?」と考えました。そしてネットイヤーを辞めて独立し、起業家をサポートしようと決めたんです。考えてみればそのころの僕は、ちきりんさん憧れの“プー太郎”生活ですよ。

ちきりん:ハハハ。

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