「最近の若者は元気がないなあ」「保守的で挑戦しようとしない」といった声を聞くことがある。しかしこうした若者論は本当に的を射ているのだろうか。この問題について、公認会計士の磯崎哲也さんと正体を明かさないブロガー・ちきりんさんが語り合った。
1984年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。長銀総合研究所で、経営戦略・新規事業・システムなどの経営コンサルタント、インターネット産業のアナリストとして勤務。その後、1998年カブドットコム証券株式会社の社外取締役、株式会社ミクシィ社外監査役、中央大学法科大学院兼任講師などを歴任。現在、磯崎哲也事務所代表。公認会計士、システム監査技術者、公認金融監査人。
著書に『起業のファイナンス』(日本実業出版社)がある。ブログ:isologue、Twitterアカウント:@isologue。
ちきりん:磯崎さんはこれまで、どんなことを経験されてきたのでしょうか?
磯崎:僕は1984年に大学を卒業し、長銀経営研究所(後の長銀総合研究所)という会社に就職しました。1990年代中ごろに米国へ留学していた知人から「米国のネットはすごいぞ」と聞きました。そしてパソコン通信を始めたのですが、その後商用化されたインターネットを使ってみて、ものすごい衝撃を受けましたね。「これからものすごい世界になるのでは」と思いました。
会社の主な業務はコンサルティングや調査だったのですが、鉄鋼や流通といった基幹産業は“ちゃんとしたアナリスト”の方々が押さえていました(笑)。なので僕のところに来る仕事というのは、よく言えばこれから伸びるエマージングなもの。悪く言えば、わけの分からないもの(笑)。
バブル経済のときにはリゾートやゴルフ場などの仕事もやりました。美術館のフィージビリティ・スタディ(採算シミュレーションなどをしてプロジェクトの実現可能性を調査すること)とか。また株式上場前の消費者金融や商工ローンの調査なども行っていましたが、世間の一般的な認識と実態にかなりズレがあって面白かったですね。
そして森ビルが六本木六丁目の再開発(今の六本木ヒルズ)に関連してインターネットの研究会を立ち上げるので、その事務局を手伝わないかというお誘いをいただきました。そこで、そのころインターネットの最先端を走っていた村井純先生やベンチャーキャピタリストの伊藤穰一さんなどのお話を聞くことができました。しかし当時はインターネットがもうかるかどうか、まだよく分からない時代でした。多くの人は「インターネットってなにそれ?」といった感じでしたね。
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