毒入り食品が世界中を駆け巡るちきりんの“社会派”で行こう!(1/2 ページ)

» 2010年12月06日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん(Twitter:@InsideCHIKIRIN)。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2008年9月23日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 2008年に中国で粉ミルクと牛乳に化学物質メラミンが混入し、赤ちゃんが死亡したり重体に陥る事件が起きました。当時、このニュースを聞いてちきりんが思い出したのは、1955年に日本で起こった森永ヒ素ミルク中毒事件でした。

 日本が今の中国より貧しいくらいの経済状態であったころ、森永乳業の粉ミルクにヒ素が混入したのです。この事件のヒ素中毒被害者は1万人以上にのぼり、死亡した赤ちゃんは100人以上、そして多くの子どもに後遺症が残りました。中国の粉ミルク事件より圧倒的に規模が大きな乳児向け食品事故であったわけです。

 中国の事件と森永乳業の事件には違いもあります。それは、森永乳業の粉ミルクがほぼ日本だけで消費されていたのに対し、中国のメラミン混入問題では日本や香港、シンガポールなど多くの国々が輸入していたため国際的な騒ぎになったことです。

 それ以外でも、米国では中国産の原料を使ったペットフードを食べた犬の死亡例が報告されていますし、中南米でも中国製の風邪シロップで死者が出ています。

 いまや世界中が中国製の食品や製品を輸入しており、それに問題があると地球の裏側の国でも健康被害を受けたり、命が危険にさらされたりする可能性があるのです。しかし、その当事者である中国は、この問題を日本やほかの先進国同様に深刻にとらえているでしょうか?

 森永ヒ素ミルク中毒事件が起こった1950〜1960年代、日本ではあちこちで公害が起こり、深刻な被害をもたらしていました。しかし当時は、企業の活動を安全・環境面から規制する法律も監督する仕組みもありませんでした。日本で環境庁が設立されたのは1971年です。それは“東京オリンピックの7年後”であったと考えると、今の中国との時間距離が分かりやすいのではないでしょうか。

 中国から日本が食品を輸入するのは、1960年代の日本から2010年の日本に食料輸出が行われている状況と似ているかもしれません。今では使用が許されていない農薬がたっぷりとかかった野菜が輸出されてくる恐れがある、ということです。

 今の中国でも1960年代の日本でも、経済成長が人命より優先されているとまでは言いませんが、そのバランスが2010年の日本と同じであるとは、恐らく言えないでしょう。

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