中高年がリストラされれば若者は救われる?ちきりんの“社会派”で行こう!(2/3 ページ)

» 2010年11月15日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

相違点3:スキルアップは誰のため?

 Aは若者に仕事がないことを、給与問題というより「人材育成」「将来の競争力」の面から憂慮しています。「仕事のスキルを身に付け、さまざまな経験を積む機会」が、今後20年でビジネス社会から引退する中高年に独占され、若者に与えられないことに危機感を持っているのです。

 Aによると、給与は仕事の成果に基づく報酬ですから、スキルや経験を積まないと上昇しません。より高い報酬が必要な年代になるまでに、若者がスキルや経験を積むことが重要なのです。だからこの問題は社会福祉で解決できるものではないのです。失業保険や生活保護では生活費は得られても、スキルも経験も得られません。

 一方、Bは「仕事のない若者は社会福祉で救われるべき」と主張します、自分たちの仕事の一部を若者に分けるワークシェアリングには反対です。この問題を解決する義務があるのは、同じ労働者である自分たちではなく、国であり資本家だと考えているからです。

 「社会福祉ではスキルと経験が得られない」という点も問題視されません。「資本家たちがよりもうけるために、より仕事の早い労働者が必要だから、スキル向上などとあおっているだけ」と考えています。

 また、経営者は常に、できる奴とできない奴の給与に差を付けて労働者の分断を図ろうとしているが、そういう「むやみに競争をあおり、労働者内に格差を作って仲違いさせる作戦」にはまってはいけないというのがBの意見です。だから、「労働者の権利である休日を利用して自己研鑽するなんて資本家の思うつぼだ」となります。

 このようにAとBでは、「労働者のスキルアップは誰を潤すのか?」という点に関して意見の相違があります。

相違点4:財源問題は誰の責任なのか?

 AはBに対して、「資本家側のお金を労働者側にこれ以上回すのは無理である。そんなことをしたら企業は世界との競争に勝てない」「高福祉社会を実現するためにも、経済成長が必要なのだ」と言います。

 Bは「競争は際限のないものであり、それが理由で労働者にお金が回せないというのは詭弁だ」と考えているし、福祉財源に関しても「国民が財源をうんぬんする必要はない。財源とは優先順位の問題なので(=お金がないわけではないので)、国民側が高福祉実現のための方法論まで考える義務はない」と言います。

 ここで明確になるのは、Aは「権力者側」に近い発想であり、Bは「権力者と対峙(たいじ)する立場に自分を置いている」ということです。「A=権力者である」ということとは違います。あくまで「視点をどこにおくか」という問題です。

 例えば、一般家庭でも子どもは「あれ買って! これ買って! 学校でみんな持っている!」と言います。財源の話なんてしません。しかし、夫が「パソコン買い換えたい」と言う場合、妻に「そんなお金どこにある?」と言われれば、「分かった、タバコはやめる」くらいのことは言わざるを得ません。この場合、夫は権力者ではありませんが、「権力者側に近い発想」を求められる立場にあるため、「あれ欲しい。けど、財源は知らん」とは言えないのです。

 政治の世界も同じですが、財源をまったく気にせず、福祉施策の充実だけを声高に叫ぶ人たちはみなBと同様、「財源問題は自分の責任範囲ではない」と考えているのです。

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