なぜ梅酒ビジネスで売り上げを25倍にできたのか――中野BC・中野幸治さん(前編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(5/5 ページ)

» 2010年11月05日 08時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]
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紀州南高梅を生かした梅酒作り

 中野BCの梅酒製造販売の歴史は長い。1971年、紀州南高梅の需要拡大を目指して梅果汁の製造を開始。そして1979年、梅酒開発に着手している。

 中野BCの梅ビジネスを特徴付ける要素として、海外市場への進出が挙げられる。

 「地元・和歌山の人々にとって、梅酒は自宅で作るものであって、わざわざ買うものではなかったんですね。そこで、『南高梅を通じて日本文化の魅力を世界の人々に伝えよう』という意図も込めて、海外市場に打って出たんです」

 商社と組んでの海外進出により、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、オランダ、ドイツ、オーストリア、スイスなど、販路は順調に広がっていく。

 国内市場でも当初は売り上げが伸びずに苦戦したものの、1980年代半ば、シソを漬け込んだ梅酒や、ハチミツを入れた梅酒を発売してから、徐々に採算ベースに乗っていったという。

 「シソの赤色、ハチミツの黄色と続いたので、新作は緑色にして“三色梅酒”として販売しようと考えました。緑色を出すために、アロエやワカメを試したのですが、いまいちフィットせず、最終的に、緑茶が一番合うということが分かりました。そして発売したのが『緑茶梅酒』です」

赤い梅酒(左)、ハチミツ梅酒(中央)、緑茶梅酒(右)

 大きな期待を込めて発売した緑茶梅酒であったが、緑茶と梅酒という意外な取り合わせに消費者が戸惑ったのか、売り上げは一向に伸びなかった。筆者も取材の際に飲ませていただいたが、飲む瞬間まで、一体どんな味なのか、まったく想像することができなかったし、多くの人が戸惑ったのも無理はないと思う。

 何度も製造中止が検討された緑茶梅酒だが、やがて転機が訪れる。2003年ごろから健康志向が高まりを見せ、体に良いとされる緑茶や梅酒がにわかに注目を集め始めたのだ。それに伴って緑茶梅酒も次第に売り上げを伸ばし、人気商品へと成長していった。

 中野幸治さんが中野BCに入社したのは、まさにそういうタイミングであった。しかし入社直後、ある衝撃が中野さんを襲う。

 「マーケティングセクションを見て、私は激怒したんです」

 中野さんはなぜ怒ったのか? 実はこの瞬間から中野BCの梅酒事業の躍進が始まるのである。次週掲載の後編では、「梅酒事業の売り上げが5年間で25倍増」がなぜ可能だったのか、そのファクターを検討してみたいと思う。

嶋田淑之(しまだ ひでゆき)

 1956年福岡県生まれ、東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在は自由が丘産能短大・講師、文筆家、戦略経営協会・理事・事務局長。企業の「経営革新」、ビジネスパーソンの「自己革新」を主要なテーマに、戦略経営の視点から、フジサンケイビジネスアイ、毎日コミュニケーションズなどに連載記事を執筆中。

 主要著書として、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか」「43の図表でわかる戦略経営」「ヤマハ発動機の経営革新」などがある。趣味は、クラシック音楽、美術、スキー、ハワイぶらぶら旅など。

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