なぜ梅酒ビジネスで売り上げを25倍にできたのか――中野BC・中野幸治さん(前編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(2/5 ページ)

» 2010年11月05日 08時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

信念の創業者、戦略経営の2代目

 中野さんは、中野BCでは3代目の跡取りに当たる。創業者である故中野利生氏、そして2代目である中野幸生氏はどのような人なのだろうか?

創業者の故中野利生氏

 「祖父(創業者)は貧しい大工の家の出身で、当時、豊かさの象徴のように感じられた酒蔵に憧れたようです。それで、自分もいずれは蔵元になろうと志し、それを実現するための第一歩として、1932年に薄口醤油の製法を独自に開発、製造・販売に乗り出しました。

 頑固一徹で“我が道を行く”タイプだったようですが(笑)、醤油事業は成功し、1949年の焼酎製造販売開始を経て、1961年に念願かなって中野酒造(現在の中野BC)を設立したんです。

 父(2代目)は慶應義塾大学を卒業するとすぐに蔵に入りましたが、同時に大手自動車会社のディーラー業にも携わるなど、決してお酒だけの人ではありませんでした。『時代に合わせて人も企業も変わらないといけない』という考えを持った人で、企業理念群(=社是、経営信条、経営理念、綱領)を定め、それを日々の業務の中で徹底的に追求しました(理念については後編で触れる)」

中野BC本社がある和歌山県海南市(出典:Googleマップ)

 そんな2人のDNAを継承する中野さんは、中野BCに入社するまで、どのような人生を送ってきたのだろうか?

 「子どものころから『跡取りになれ』と言われることはありませんでしたが、『いずれは跡を継ぐことが自分の宿命だ』とは感じていました。私は和歌山市で生まれ育ちましたが、中学卒業時に親元を離れ、共立女子大に通っていた姉のもとで、東京の高校に通いました。大学は法政大学工学部機械工学科に進学。材料工学を専攻し、修士課程を卒業しました」

 酒蔵の跡取りが、大学院で機械工学を学ぶというのは、意外な感もあるが……。

 「父の考え方として、酒蔵の跡取りといえども、お酒だけに携わっていれば良いというのではなく、『より広い視点からお酒のビジネスをとらえられる人になってほしい』というものがあったようです」

 家業と関わりの薄い分野を専攻したとはいえ、大学・大学院時代を通じて、中野さんは日本全国を旅して歩き、各地の蔵元を訪ね、将来の跡取りとして見聞を広め、研さんを積んだ。

 卒業後は宝酒造に4年間勤務。その後、中小企業大学校に1年間通い、30歳を前にした2005年8月、家業に入ることになる。

 「宝酒造では、最初の2年間は京都府の伏見工場の日本酒製造ラインでお酒の作り方を学び、後半の2年間は東京で営業に従事しました。中小企業大学校は、さまざまな業種の企業の跡取りが集まって帝王学を学ぶところで、ここでの人脈作りが今に生きていますね」

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