第42鉄 海底駅、連絡線、昭和の記憶――津軽海峡の今昔を訪ねる杉山淳一の+R Style(3/6 ページ)

» 2010年10月28日 14時48分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

操舵室や車両デッキも見学できる「八甲田丸」

 2010年現在、ホームから連絡船桟橋への通路は駅の東西を結ぶ自由通路になっている。駅の施設ではないらしく、ホームから続く階段は撤去されていた。八甲田丸に背を向けて青森駅東口を出て、そこから徒歩数分で八甲田丸と対面できた。過酷な気象や荒波と戦った往時とは違い、白と黄色で化粧直しされている。桟橋風のタラップを進むと受付。順路通りに進むと、郷土の展示コーナーの先にミニシアターがあって、そこで青函連絡船の記録映画を見る。貨車を船内に積み込む様子が興味深い。

 さらに進むと歴代の連絡船の模型や鉄道車両航送のしくみ、積み込まれた貨車の模型が展示されている。このあたりは客席だったところ。かつて青函連絡船で旅した人なら懐かしいだろう。私は椅子席よりもカーペット席の方が好きだった。航海時にごろ寝すると、身体がゆっくりと上下して、揺りかごの中にいるような気分だった。食堂には名物という「海峡ラーメン」があり、食べてみたが魚介が苦手な私にはツライ味だったっけ……。いろいろ思い出すなあ。

 展示船となった「八甲田丸」は、現役時代に非公開だったところが見物できる。操舵室、船長室、上部甲板、なんと煙突の中にも入れて、上っていくと360度の展望だ。そこを降りて順路を辿ると車両デッキに出る。ここが鉄道ファンには興味深いところだ。「海の鉄道」の役目を持っていた青函連絡船は、カーフェリーでは自動車を積むところに当たる部分に線路を設置。地上の線路と接続して鉄道車両を飲み込んだ。

現役時代は立ち入れなかったブリッジを見学
上部甲板を歩く。煙突は展望台になっている
車両甲板で保存されているヨ6000。貨物列車の車掌さん用車両
桟橋通路で青森駅に戻る途中、通路の窓から車両航送用の施設が見えた

 過去の連絡船には旅客列車も乗客ごと積み込まれた。しかし1954(昭和29)年の洞爺丸事故後に客車輸送が取りやめとなり、この車両デッキに一般客は入れなくなった。内部には貨車の積み込みに使用したDD16形機関車や、貨車を船体の奥まで押し込むために連結した控車、郵便車などがある。連絡船の旅人が函館から乗り継いだキハ82系特急形ディーゼルカーもあった。

 見学順路は車両デッキから機関室など船の心臓部を通って終了。所要時間は2時間でちょうどいい感じだ。

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