ユーザーインタビューと並行して、2010年モデルの新デザインを考え始めた。インタビューの結果、「買いたい」と思ってもらえる部分を強く意識したデザインを詰めるために、2日間のデザイン合宿を行った。
「合宿前に、方向性を確認するためのプロトタイプモデルをいくつか作っていたのですが、合宿も含めて『このデザインでいこう』と決まるまでに3〜4カ月はかかったと思います」(犬飼氏)
「合宿で書いたデザインは80枚以上でした。インテリアにマッチするというコンセプトだったので奇抜なものはありませんでしたが、『やさしさを感じさせる』『すごくハイテク感を』といったアイデアも存在しました。まるでトーナメント戦のようにデザインが洗練されていって、最終的には極端にやさしくもなければ、ハイテクでもなく、普遍的で無駄のないシンプルなデザインになりました」(島村氏)
デザインがシンプルになればなるほど、コンセプトの明快さが際立つようになっていく。デザイン合宿と同時に「光る操作部」というアイデアも進んでおり、これをプロダクトデザインが邪魔をしないように議論を重ねたという。
「個人的には最初から白色LEDを使おうと思っていました。しかし、本体の最終デザインが決まっていなかったので、天板部分だけの実物大モックを作ってもらいました」(島村氏)
作成したモックはLEDの色を自由に変更できるシミュレータだった。実際に発光するものを作るのはキヤノンでも前例が少なかったが、CGではミスジャッジになる可能性があったという。このモックの存在が、新PIXUSの開発に大きな影響を与えた。
「色使いがうまい外国の自動車メーカーをイメージしながら、オレンジや青などさまざまな色を試してみました。それぞれに良さがあったのですが、多くの関係者が『白がいいね』と」(島村氏)
「当時は、使わないボタンをブラックアウトできるかどうか検討中でした。このシミュレータはブラックアウトできないのですが、これの存在のおかげで『やっぱり、ブラックアウトできないとダメだよね』という意見が強まりました」(犬飼氏)
インテリジェントタッチシステムのための静電センサーと白色LEDの採用は、難しい課題が山積みだった。しかし、デザイン部門だけでなく開発に携わった多くの技術者の間にはいい雰囲気が流れていたという。
「内心はどうだったか分かりませんが、嫌々やっている感じはありませんでした。光るモックを見せたときの社内の驚きは、いままでやってきた中で一番大きかったと思います。『大変だ』と思うより、『これを製品化してやろう』という思いのほうが強くなったのではないでしょうか。コンセプトモックの力が大きかったなと思います」(犬飼氏)
光る天板以外にも大小さまざまなプロトタイプを作成したという。そこにはデザイン主導のものもあったし、開発部門が試作金型(仮型)を作って、実際に試作機に組み込むためのものもあった。
天板部分のプリントは、精度を出すために何百枚という試作品を作り、スタッフが目視でチェックした。静電センサーを使わなかったら、既存のノウハウの積み重ねだけで製品化できただろうという。
「コンセプトモックを作った段階では、とにかくプリンタ上部に何もない状態にしたかったので凹みもつけませんでした。ところが、クルクル回して操作するホイール部分には、何らかのガイドがないと狙いどおりに回せない。使い勝手のために凹みを付けなくちゃ、となったのですが、たくさん試作品を作りましたね」(島村氏)
静電センサーを使う部品は厚みが出てくると応答性が悪くなる。ホイールに凹みを付ければ部品が厚くなる。「もっと深くすれば、断面の形状を変えれば、操作しやすくなるのに」という思いと、「センサーの反応が鈍くなると、使ったときの気持ちよさがなくなる」という葛藤から、幅、深さ、形状の組み合わせを数十通りも検討することになった。
「十字ボタンに、センターボタンにホイール。非常に込み入った部品になりました。デザインだけでなく、静電センサーの検知部分を担当する電気設計、ほかのボタンに指がかかったときにどこまで入力を拾って、どこから捨てるのかといった制御を行うソフトウエア開発、LEDの光が不要な部分まで漏れないような部品を作るメカ設計のメンバーも最後まで知恵を出し合いました」(犬飼氏)
「REAL BLACK」コンセプトの基、黒に対するデザイナーのこだわりに応えるべく、技術部門も積み重ねたノウハウを惜しげなくつぎ込んだ。シングルファンクションプリンタでは黒モデルが存在したが、マルチファンクションプリンタで黒一色は初めての経験だ。黒が映える材料選定、きれいに黒が発色するための調色、金型作り、実際に工場で製造するときの成型技術。すべての部門の協力がなければ新しいPIXUSは完成しなかっただろう。
「デザイナーも金型に詳しくなりましたよ。キヤノンのデザイン部門は技術的なところまで深く入り込んでいって、一緒にプロジェクトを動かしていくという空気が昔からありましたが、特に今回は技術の人から『それはできないよ』といわれることもありました」(島村氏)
最後に島村氏はこういった。
「もしも店頭で新しいPIXUSを見る機会があったら、ぜひ部品割に注目してください。プロダクトデザインとしての一体感をスポイルしないギリギリまで攻めた、最小限の部品割をメカ設計担当者と詰めました。周りに並んでいるほかの製品を見比べてみてください」
ここにプロダクトデザイナーの意地を見た気がした。
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