経営コンサルタント滅亡――その先はあるのか?郷好文の“うふふ”マーケティング(1/2 ページ)

» 2010年09月09日 08時00分 公開
[郷好文,Business Media 誠]

著者プロフィール:郷 好文

マーケティング・リサーチ、新規事業の開発、海外駐在を経て、1999年〜2008年までコンサルティングファームにてマネジメント・コンサルタントとして、事業戦略・マーケティング戦略など多数のプロジェクトに参画。2009年9月、株式会社ことばを設立。12月、異能のコンサルティング集団アンサー・コンサルティングLLPの設立とともに参画。コンサルタント・エッセイストの仕事に加えて、クリエイター支援・創作品販売の「utte(うって)」に携わる。著書に『顧客視点の成長シナリオ』(ファーストプレス)など、印刷業界誌『プリバリ[印]』で「マーケティング価値校」を連載中。中小企業診断士。ブログ「マーケティング・ブレイン」(コンサル業)、「cotoba」(執筆業)。Twitterアカウントは@Yoshifumi_Go


 マネジメント・コンサルタントはもはや絶滅種になりかけている。

 ピーター・ドラッカーは1950年前後に経営コンサルタントとマネジメントを発明したと言われる。だが、2008年のリーマン・ショック以降、古き良き時代の業務改善コンサルタントも、舌鋒鋭い戦略コンサルタントも、雇われない時代を迎えた。ドラッカーの発明から60年、旧時代のコンサルタントは還暦を迎えたのである。

 今、コンサルタント業界に起きていること。ひと言で言えば仕事がないのだ。

 2〜3年前と比べると3割減、いや半減しているかもしれない。昨年は「超一流のA社やB社でもコンサルをリストラした」という噂を聞いた。そして、今年に入って聞くのは「需要がぱったり止まった」。リストラしても追いつかなくなっている。

 見聞きする範囲では、IT系も含め“コンサルタント”という肩書きの職種の稼働率が低下しているのは間違いない。業界では仕事がない状態を“アイドリング”と言う。エンジンをかけているのに走れない姿である。才能ある人材が、路上ならぬ机でアイドリングして、価値を出さずに二酸化炭素を出している。コンサル会社の売上高も外面は数字をつくろうが、内訳では“純粋なコンサル売上”が激減していると推察される。由々しき問題だ。

 余談だが、アイドリングよりも厳しい言い方は“原価差額”。非稼働で人件費原価も稼がないので、原価から差額が発生する状態である。「君は原価差額だ」と冷たく言われると落ち込むものだ。華やかに見えて実にクールな業界である。

コンサル業界の失われた10年

 コンサル需要の縮小は、実は歴史的必然でもある。この10年をプレイバックしよう。

 2000年にITバブルがはじけ、2002〜03年に”失われた10年”が終わった。それから持ち直した経済は、第二の成長に向かって前向きの投資がいったん増えた。だがそこで金融危機が発生(2008年)。金融バブルの崩壊は市場信用を縮ませ、人びとのマインドを縮ませた。以来、いつやってくるか分からない第二・第三の恐慌に備えて、資金を手元に置いて堅い商売に投資、政府の需要喚起策に乗る安全運転に専念。これが多くの日本企業である。

 しかも新市場といえば海外で、国内への新設投資は後回し。新製品は既製品の衣替え、しかも“大陸的な低コスト商品”ばかり。せいぜい話題になる事業改革といっても“英語公用語”くらい。これではマネジメント・コンサルタントを雇う余地がない。

 次にコンサル側から、この10年を見てみよう。

 2000年から2005年は会社改革の全盛期だった。全社構造改革として事業の近代化、情報化投資が盛んだった。私自身もナレッジマネジメントやERP(事業を効率にする情報システム)導入などに携わった。新事業や新商品企画にも携わった。クライアントとともに汗をかくプロジェクト全盛時代だった。良き時代だったな。

 だがその後急速にウチ向きになった。2005年から2008年まで、株式公開支援(上場に伴う企業統治の整備)、バランススコアカード、内部統制など“内向き”の案件が主流になった。とりわけ内部統制は“特需”で、コンサル会社に潤沢な現金をもたらしたが、代償も大きかった。制度導入=コンサルという錯覚に業界が支配され、新メニュー開発を怠った。コンサルは内側からも弱くなっていた。

 こうしてソトから先生を招く需要は、2008年以降ぱったりなくなった。クライアントもコンサルも変質したのだ。今後のコンサル需要はどうなるのか? ざっと占おう。

       1|2 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.