瀬戸内海を切り開く? 「ファスナーの船」:瀬戸内国際芸術祭(1/2 ページ)

» 2010年09月07日 15時37分 公開
[上條桂子,エキサイトイズム]
エキサイトイズム

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※この記事は、エキサイトイズムより転載しています。


 「ファスナーで海を開く」それだけをいわれても、意味が分からない人が多いかもしれない。発想に気付いてから約8年、1つのアイデアが形になった。アーティスト鈴木康広の作品「ファスナーの船」だ。

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 水面に波紋を描きながら前へ進んでいく船を、スライドする金具が布を切り開くファスナーに見立て、「地球を開く」というイメージにまで昇華させた。

 鈴木康広氏は、葉っぱ型に切り取られ両面に開いた目と閉じた目が描かれた紙が円筒形のオブジェから舞い落ちてくる「まばたきの葉」が有名だが、どの作品にも彼特有の「見立て」がある。普段身の回りにあるモノの視点を少しずらすことで、そのモノが持っている本質を発見し、さらにイマジネーションの世界へと思考の心地よい飛躍を体験させてくれる。

 本作品もそう。最初にこの作品を思いついた時のことを鈴木氏はこう語る。

 「2002年くらいだったと思うんですが、羽田空港から飛行機に乗っていたときに、ふと下の海を見たら船がファスナーに見えたんです。ちょうどその時期には、自分の中で新しい物の見方を探っていた時期でもあって、1つの物を見るときにほかの物に見えるよう、意識的になっていたのもありました。でも、このファスナーを発見したときには、すごく面白いと思ったと同時に“作品”とするにはばかばかしすぎなのではないかと思っていたんです」

 その後、信頼できる友人(「カド消し」の生みの親、神原秀夫)にこの着想について話をすると、面白がり「作った方がいい」という助言を受けた。その後、一旦頭から作品は離れていたが、2004年に再浮上。「デジタルアートフェスティバル東京2004」で鈴木氏は、ラジコンの船にファスナーの形を組み合わせて「ファスナーの船」を出品したのだ。これが大好評を博した。

エキサイトイズム 「デジタルアートフェスティバル東京2004」に出展したラジコン

 着想の段階から実物の船で実現したいと思ってはいたものの、具体的な場所までは考えていなかった。この時点で瀬戸内海でやるべきだ、とアドバイスしたのはグラフィックデザイナーの原研哉氏だった。

 「ラジコンで作ったときにすごく評判がよかったんです。そして、これまでとは違うタイプの人たちが自分の作品に“笑い”という視点で反応してくれたのが新鮮だった。それまで作品はクールであるべきだと思い込んでいたので、つねにそのような方向を目指していたのですが、これをきっかけに作品を見て人が笑ってくれることのおもしろさを感じました。当時、原研哉さんに作品について話す機会があり『実際の船にするんだったら直島行きのフェリーがいい』といわれて、現実化する具体的な場所をはじめてイメージしました。その5年後、瀬戸内国際芸術祭の開催を聞きつけ、真っ先に応募しました」

 実現への道のりは決して簡単なものではなかった。公募の審査に落選した鈴木氏は、あきらめず1人現地調査を行い、芸術祭のアートディレクターの北川フラム氏に再プレゼン。来場者が乗れる船にするという条件で、鈴木さんは作品制作、北川氏は運営関係、双方が実現に向けて動き出した。

エキサイトイズム 改造前の船

 船を一艘手に入れて、それにファスナー型の外装をつけ、海に浮かべ、来場者を乗せて運行するのだ。予算・造作・運航すべての段階に大きな障壁があった。「このプランは、造船会社の方を始め、造作の職人さん、設計の方、マリーナの方など協力してくれたすべての人たちの実現の意欲なしにはできなかった」と鈴木氏。その中でも、このプロジェクトを実現するために必要不可欠だったのが、造船会社の根本造船だろう。

 アイデアに共感し、プロジェクトの共犯者となった根本氏は「最初にスケッチを見たとき、こりゃ走らねーなと思った」と笑いながら話す。今年の3月に鈴木氏より相談を受け、船を一隻提供したのを皮切りに完成まで先導役を務め実現にこぎ着けた。

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