その昔、日本でも「女は大学なんて行かなくていい」と言われた時代がありました。あれも根は同じです。「女はどうせ結婚して子育てと家事に従事する。学問なんてやっても意味がない」ということです。もっとさかのぼれば、「武士以外は読み書きさえもできなくてよい」という時代もありました。
このように昔は、「必要な人だけが、必要最低限の教育を受ければよい」とされていたのです。なぜなら国全体が貧しくて、全員に教育が授けられない状態だったからです。そういう考えの先に「医療従事者として働く人だけが、医学教育を受ければよい」「医学教育を受けたのに医療従事者にならないのは税金の無駄」という考えが存在しています。
教育に「職業に必要な知識と技能を習得させる」という意味しか持たせないのであれば、小学校に入る6歳の時に職業を決めて、最初からその職業に必要なことだけを教えるのが最もよいという話になってしまいます。
でも、本当にそれが今の日本において“意味のある税金の使い方”でしょうか。財政赤字や経済停滞が取りざたされることの多い日本ですが、それでもこの国はまだ十分に豊かです。
教育は“特定職業に就くための技能教習”ではなく、個々人がそれぞれの生き方を継続的に模索、追求していくための土台であり、社会に多様な視点やより深い洞察をもたらす源泉となるものです。
そう考えれば、医学部を出て医者以外の職業を選ぶ人が現れるのも悪いことばかりとは思えません。個々人が複線的に生きる道を選べる豊かさや、やり直す自由を広く認めることを、より肯定的にとらえる社会であってほしいと思います。
そんじゃーね。
関西出身。バブル最盛期に金融機関で働く。その後、米国の大学院への留学を経て現在は外資系企業に勤務。崩壊前のソビエト連邦などを含め、これまでに約50カ国を旅している。2005年春から“おちゃらけ社会派”と称してブログを開始。Twitter:@InsideCHIKIRIN。
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