くう、ねる、そして――自然写真家、糞土師 伊沢正名さんあなたの隣のプロフェッショナル(4/7 ページ)

» 2010年08月07日 15時10分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

自然界における“分解”の重要性

 きのこ写真を見た人たちの多くは「どの写真が食べられるきのこなのですか?」と尋ねる。しかし伊沢さんの写真のほとんどは、食用に適さない種、つまり毒きのこを撮ったものだ。

 「私個人としては、きのこ写真家として満足のゆく仕事ができたと思いましたし、その充足感ゆえに、もういつ死んでも良いとさえ思いました。でも、私の写真を見た人の視点に立ったとき、果たしてどうだったか? 残念ながら、現代の多くの読者は、きのこを食べることにばかり関心が向いていて、彼らにとっては、分解の重要性も、日陰者の意外な魅力も、結局は他人ごとでしかない……ということを痛感したんです。

 そこで、自然界における“分解”の重要性、そしてそこで果たすべき人間の“責任”ということに関して、どうすれば現代の人々に当事者意識をもっていただけるか? 考えた末に辿り着いたのが、人間の排せつ物をテーマにした糞土師活動だったんです」

 「もういつ死んでも良い」と腹をくくった人ならではの強さだろうか、伊沢さんの活動方針は挑発的なものだった。それは自ら、大自然の中で毎日野糞を実践し、その後、その便がどのような“分解”過程を経て「糞土」になり、新しい生命の息吹を生み出してゆくか、日々、仔細に観察し、写真に撮ってゆく、というものだ。これらの写真を、写真集の出版や写真展開催などを通じて社会に向けて発信するとともに、講演活動を展開して、人々の意識改革を図ろうとした。

 「人間は、自然界において『生かされている』存在です。他の動植物の生命を奪うことによって、自分たちの生命を維持させてもらっている。それは決して悪いことではありません。動物としての“権利”を行使しているに過ぎないのですから。でも権利があるのなら、同時に“責任”もまたあるのではないでしょうか?

 では、人間が果たすべき責任とは何でしょう? それは、食べっぱなしにするのではなく、その結果生み出される排せつ物を自然界に還すことです。他の動植物にとって、これがたいへんなご馳走になるんです。糞便を食料として摂取する動物もいます。そして、私がテーマにしているように、糞便は土の中での分解作用を通じて糞土へと変容し、土壌を豊穣にして、新しい命を生む原動力になってゆくのです。

 ところが、現代の人間は、自分たちが食べることばかり熱心に追求し、同じくらい重要な排せつについては、それを話題にすることさえ嫌悪し、自然界において『生かされている』ことに伴う“責任”をも放棄してしまったんです。

 現代人は、排せつ物をすべてトイレに流してしまっていますよね。それがどのように処理されるか知っていますか? 最終的には焼却されるんですよ。自然界に還すどころか、膨大な化石燃料を消費し、莫大な二酸化炭素を放出しているんです。こうした無責任ともいえる行動をしておきながら、他方では、エコビジネスと称するもので金儲けをし、またそうした商品を購入することで、多くの人が地球環境問題に貢献していると信じ込んでしまっています。

 こんなことを続けていては、地球は取り返しのつかないことになります。だからこそ、一日も早く、自分たちの過ちに気づいてもらおうと、野糞という挙に打って出たわけです。

 排せつ行為は、すべての人間が、毎日行っていることです。これをテーマとして突きつけられたときに、そこから逃れることのできる人などいません。誰もが、生物としての自分自身の果たすべき責任に対して、真正面から向き合うことを余儀なくされるのではないでしょうか?」。

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