あの人とは“合わない”と感じたとき……どのようにすればいいのか吉田典史の時事日想(2/3 ページ)

» 2010年08月06日 08時00分 公開
[吉田典史,Business Media 誠]

人が人を理解するのは不可能?

 インタビューしたコンサルタントのプロフィールは輝かしい。東大を卒業し、有名なコンサルティング会社で修行し、独立。いまや、小さなコンサルティング会社の社長である。ところが、回答は要領を得ない。例えば「会社員は甘えている」と言うので、どこがどのように甘いのかと尋ねると「すべて……」としか言葉が返ってこない。さらに「会社員はプロフェッショナルであれ!」と言うので、その意味を聞くと「プロであること……」と回答をする。

 家に帰り、やりとりを録音したテープを聞くと、漫才に近い。彼は経営者や役員のことはよく理解しているが、企業の現場を知らない。しかし非があるのは彼でなく、実は私にあるのだ。

 取材前に、私は彼の著書を2冊読んだ。その文体からして、ゴーストライターが書いたことは察知できたが、その内容を信じた。本には「30代のリストラ」について触れていたので、「テーマにふさわしいと思い」このコンサルタントを選んだのだ。

 下調べをしたうえで、本人に会っても「調べたことと全然違う!」と感じることはある。それはある程度はやむを得ないのだが、今回ほど全く違う状況になると、私のミスである。

 そして、彼の話した内容を記事にすることはできないと感じた。あまりにも薄く、読者にも彼にも申し訳ないと思ったからだ。そこでもう1度、会ってもらい、話を聞いた。だが、前回と同じく「経営者はもっと苦しい」「会社員は、会社にぶら下がるな」という言葉しか出てこなかった。仕方なく、彼との話し合いのうえで、掲載を見送りすることにした。

 このようなことは、20代のころから幾度となく経験してきた。しかし40歳を超えると「その人の職歴や学歴、本などですべてを判断することはできない」ことを身にしみた。人は会って話をしてみないと、分からない。いや、たとえ会ったとしてもその人の考えを理解することは難しい。そもそも、人が他人のことを理解することは、その程度にもよるが、「できないのだ」と思うようになりつつある。

 しかしこのように考えると、不思議と今度はその人のことをもっと知ろうとする。例えば、今回、取材がうまくいかなかったコンサルタントにまた、取材を受けてもらえるように依頼した。彼の真意を一段と知りたいと思った。今度は、「30代のリストラ」とは違うテーマで取材を試みようと思う。

 私は、このような心境に20〜30代のときはなれなかった。私なりの解釈だが、他人を理解できないという絶望の心理にならないと、相手のことを本当に知ろうという考えにはならないのではないか。安易に「分かち合える」と思い込むのは、好ましくないのかもしれない。

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