「朝日、オリコン、裁判所」ともあろうものが。35.8歳の時間・烏賀陽弘道(6/7 ページ)

» 2010年07月30日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

 会社員としての人生を送るにあたって「自分のやりたいこと」と「会社がボクにやらせたいこと」――この比率が50対50なら、幸福だと考えることにしていました。しかし、PC雑誌の編集者になった時点でこの「臨界点」を超えてしまった。つまり自分のやりたいことよりも、会社がボクにやらせたいことの比率が大きく上回り、針が振り切れてとまった。

 そして40歳のときに、朝日新聞社を辞めました。会社を辞めることに対する不安ですか? 不安どころか、安心材料なんてひとつもない(笑)。朝日新聞社の給与は手取りで毎月40万以上あったのが、それがゼロなんだから。ボクは人一倍臆病なんですよ(笑)。いつも「本当にフリーランスでやっていけるのか?」と自問自答するんですが、結論はいつも「いや、食っていけるはずがないぞ」になってしまう(笑)。

 会社を辞めてるとき「自分は何をするべきなのか」はよく分かりませんでした。しかし「何をすべきではないか」は分かっていた。それは「朝日新聞社に残っていること」。あのまま会社に居続けては、ボクは間違いなく職業人としてダメになっていたでしょうね。

 とりあえず書籍の依頼が2〜3あったので、本を書くことに自分の力を注いでいこうと決めました。「本を出して、反応を見てみよう。今から5年経ってダメだったら、まあまたそのときに考えりゃいいや」と思っていました。

43歳、オリコンから訴えられる

―― 2003年、烏賀陽は朝日新聞社を辞めた。しかし3年後、ある「事件」に巻き込まれることとなる。月刊誌『サイゾー』(2006年4月号)に掲載された「ジャニーズはVIP待遇!? オリコンとジャニーズの密月関係」という記事で、烏賀陽はサイゾー編集部から電話取材を受けた。しかしその掲載された烏賀陽名義の「コメント」に対し、オリコンは事実無根の名誉毀損として出版社やライターを訴えずに、烏賀陽のみを提訴したのだ。

 「訴状」が届いて開封した瞬間、すべてが吹き飛んでしまいましたね。その日から違う人生に入ってしまう、ようなものです。裁判対策で仕事ができない。収入が減って、徐々に追い詰められていくんですよ。2007年から2008年の年収は120万円。「もしかしたら自分のフリーランスのキャリアが終わってしまうかもしれない」という恐怖と戦っていました。

 オリコンは「烏賀陽は長年にわたって虚偽に満ちた誹謗中傷を繰り広げた」と主張していました。屈服すれば、オリコンの言い分を認めるようなもの。ボクが20年間積み上げてきた職業人生がそこで終わってしまう。だから崖っぷちに立たされようとも、逃げるわけにはいかなかった。

 オリコンのように嫌がらせ目的だろうと、自分たちにとって都合の悪い情報が流れるのを防ぐ目的だろうと、民事訴訟は誰にでも起こせます。そして訴えられた側は、弁護士を雇って対抗しなければならない。弁護士費用は着手金だけでも100万ほどかかる。もしそれが支払えなかったら、法廷で負けてしまう。紙切れ1枚を裁判所に持っていけば、誰でも裁判を起こせる。そんな簡単な手続きで、相手にさまざまな苦痛を与えることができる日本の民事訴訟は、とても危険なシステムになってしまったのではないでしょうか。

 裁判で争っているとき、多くの人は「そんなバカな訴訟はすぐに裁判所が棄却するでしょう」と言いました。ボクも「裁判所は弱い者の権利を守る砦」と思っていた。が、甘かったですね。東京地裁は「烏賀陽に名誉毀損の責任がある」という判決を下しました。もしメディアの取材に応じたことで、名誉毀損の責任を負わされれば、誰もマスメディアを通して発言なんかしない。東京地裁の判決は「普通の市民が意見を発言する権利」を奪ったようなものでした。

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