「朝日、オリコン、裁判所」ともあろうものが。35.8歳の時間・烏賀陽弘道(2/7 ページ)

» 2010年07月30日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

26歳、リクルート事件取材班のメンバーに

猿回しの仕事がなくなったという話を取材している烏賀陽さん(1988年7月23日、愛知県岡崎市で)

 入社3年目、26歳(1989年)のときの話です。愛知県の岡崎支局にいました。なぜか東京本社のリクルート事件取材班のメンバーに選ばれ、3カ月ほど東京で取材することになりました。「リクルートコスモスの未公開株を受けとった」と疑惑を受けた藤波孝生さん(元官房長官。故人)の選挙区は三重県。ボクの初任地が三重県だったから、取材班のメンバーとして呼ばれたんじゃないかな。

 「取材班」というとカッコイイんですが、仕事は藤波さんを24時間尾行・監視すること(笑)。彼が起訴されるまでの約3カ月、記事も書かずにただただ後ろにくっついていただけ。あまり知力のいらない仕事ですが、記者としての視野を少し広げることができたんじゃないかと思います。なぜかというと、それまで三重県の津市と愛知県の岡崎市しか知らなかったボクが、いきなり東京で中央政界を取材することになったから。永田町で国会議員を取材している記者はたくさんいますが、その議員の選挙区を歩いて取材した人は案外少ない。逆に、地方で選挙区を担当している記者は支局にたくさんいますが、その議員が永田町で何をしているのかを知る記者は案外いない。1人の記者が複数の現場を取材して「あ、これは違う」「ここは同じか」と感じることはとても大切だと今でも思います。

 藤波さんが起訴されたことで、ほとんどのメディアは「藤波さんは次の選挙で落選する」と予測していました。しかしボクは「絶対に当選する」と確信していた。なぜなら、三重県の人をよく知っていたから。人柄が穏やかで、長期の人間関係を大切する三重県で「汚職議員だから」と藤波さんに背を向ける人はほとんどいなかった。彼は自民党は離党しましたが、1990年に行われた総選挙で当選します。東京の大手メディアは「不思議だ」「信じられない」と言っていましたが、東京と三重の両方を取材していたボクにとっては、むしろ当たり前の結果でした。

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