「朝日、オリコン、裁判所」ともあろうものが。35.8歳の時間・烏賀陽弘道(1/7 ページ)

» 2010年07月30日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

連載「35.8歳の時間」とは:

 35.8歳――。これはBusiness Media 誠の読者の平均年齢である(アイティメディア調べ)。35〜36歳といえば、働き始めてから10年以上が経ったという世代だ。いろいろな壁にぶちあたっている人も多いだろうが、人生の先輩たちは“そのとき”をどのように乗り切ったのだろうか。

 本連載「35.8歳の時間」は各方面で活躍されてきた人にスポットを当て、“そのとき”の思いなどを語ってもらうというもの。次々と遭遇する人生の難問に対し、時に笑ったり、時に怒ったり。そんな人間の実像に迫る。


今回インタビューした、烏賀陽弘道氏(うがや・ひろみち)のプロフィール

1963年、京都市生まれ。1986年に京都大学経済学部を卒業し、朝日新聞社記者になる。三重県津支局、愛知県岡崎支局、名古屋本社社会部を経て、1991年から2001年まで『アエラ』編集部記者。 1992年にコロンビア大学修士課程に自費留学し、国際安全保障論(核戦略)で修士課程を修了。1998年から1999年までニューヨークに駐在。2003年に退社しフリーランス。


――朝日新聞、AERAを経て、2003年に独立したジャーナリストの烏賀陽弘道。音楽や映画業界のみならず、さまざまなジャンルを追い続け、彼の独自の視点と緻密な取材による記事は一般読者から高い評価を得ていた。

 しかしフリーになった3年目に、“書けないジャーナリスト”になってしまった――。多くの“烏賀陽ファン”は、彼の記事を楽しみにしていたのに。

ジャーナリストの烏賀陽弘道氏

 中学生のころから「文章を書いて、メシが食えたらいいなあ」と思っていました。好きなことといえば音楽を聞くこと、自転車に乗ること、そして文章を書くこと。小説を書いて作家として生きていけるなんて思ってもいませんでした。インターネットどころか携帯電話もない時代だから「会社に就職して文章を書いて働ける仕事」というと新聞記者くらいしか思いつかなかった。今ならブロガー少年にでもなってたんだろうなあ(笑)。

 学校の帰りに本屋に寄って、本多勝一、立花隆、柳田邦夫といったジャーナリストたちの作品を貪り食うように読んでいました。「この世界はこんなに深い奥行きがあるのか」「そんな世界を見て、書ける。ジャーナリストってすごいな」などと思っていました。で、身の程知らずにも「ジャーナリストになりたい」という願うようになった。いま振り返ると、世間知らずなボンボンのたわごとなのですが(笑)。

 大学を卒業するとき、普通に「就職活動」をして朝日新聞社に入社しました。当時の夢は「海外報道」でしたが、最初に配属されたのは三重県の津支局。失礼ながら当時はコンビニもない田舎で、取材活動には英語の「エ」の字もいらない(笑)。ボクは当時23歳。初めてプロとして取材をして記事を書き、がくぜんとしました。読者だったときは「こんな記事、読むに値しない」と思っていた地方版のベタ記事すら書けない。話が聞けない。記事が書けない。満足に写真すら撮れない――。自分は職業人として“無”であると痛感させられましたね。海外報道なんて夢のまた夢です。しばらくはそのことは忘れようと決めた。そして記者としての初歩スキルを習得することに全力投球しました。

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